インタビュー

権代敦彦──サントリー芸術財団コンサート作曲家の個展 2013

テキスト、時間、空間──思索と音楽の根源へ
新作は純粋に〈音〉だけで地図を作っていくことに挑戦

1965年生まれ、少年期からメシアンやバッハの影響下に作曲の道を歩み出した権代敦彦は、カトリック信仰に基づいた祈りと思索、問いに満ちた音宇宙を生み続け、キリスト教のみならず仏教や多くの思想家・文学者のテキストにも広く深く関心を拡げながら、多彩な創作を繰り広げてきた。今秋、その作品を特集する〈作曲家の個展2013─権代敦彦〉が開催されるのは、長らくその作品に驚き揺るがされてきた聴き手にとっても貴重な機会となる。その着想を縦横に展開するオーケストラ作品を軸に据えたこのコンサートでは、近作から委嘱新作まで権代敦彦の現在をじっくり体感することができる。

権代作品では創作初期からしばしば、声や言葉と鋭く対峙してきた。今回久々に再演される、メゾ・ソプラノ、ピアノ、児童合唱とオーケストラのための《子守歌》(2005年)でも、言葉に対する作曲家の厳しいスタンスをみることができよう。これは大阪教育大附属池田小学校で起きた殺傷事件の遺族による手記を中心に構成されたもので「凄く大変なテキストだった」という。

「ただ、僕はこれまでもテキストの意味内容を音楽で伝えようとは全く考えてこなかった。テキストから受けた印象や読みを音楽へトランスフォームしていく。──《子守歌》でも突き詰められた死と生、救済の問題を、引っかかってきた言葉から別の自分の音楽に創っていくことでしかテキストに関われないのですが‥‥これは僕の中でとても大きな意味を持った曲でした。最初はレクイエムとして手記だけをテキストに書いていたけど、最後になって旧約聖書の『知恵の書』に行き当たった。これは若い人の死というものに対して凄いことを言っているんですよ。若いうちに神がこの世から子供を天に引きあげたことは幸せだったのではないか、この世は生きるに値するか‥‥ここに行き当たって作曲は最後で大きくカーブした。普通の演奏会で上演するには難しい内容で再演の機会もなかったので、今回選びました」

テキストから触発された音楽に、吟味されたテクスト、というべきタイトルが冠される。

「訳題はBerceuse(ベルスーズ)にしたんですけど、フランス語のbercer(ベルセ=揺らす)という動詞ともつながる。子守歌には行っては返し、という波の呼吸のような運動がある。失われた命が母の揺らす海の中に還っていってほしい。タイトルは作品と表裏一体なんです」

オルガンと笙のための《母》(2007年)も、タイトルは深い。

「訳題の《khola / matrix(コーラ/マトリックス)》はプラトンに出てくる母胎、生成以前の存在の〈場〉の概念。この曲はサントリーホールのリニューアルオープンに合わせた委嘱作品で、オルガンを前にしたサントリーホール、それまで音がお休みしていた空間に、どのような音を生み出していくのか‥‥ミューズの神を呼び込んで次の世代へホールが生まれ変わってゆく橋渡しの曲になれば、と思って書いたのです。この世に生まれてくる前の母胎空間から音を紡ぎ出してゆく作品なので〈母/コーラ/マトリックス〉は三位一体でひとつのタイトル、作品を象徴的に包む枠なのです」

パイプオルガンと笙、大小の差はあれ通じ合う楽器が共演する《母》と対比されるように、オルガンとオーケストラのための新作が世界初演される。

「オルガンって大音量のイメージがありますが基本的には笛の集合体ですから、笛1本の音色から会場全体を震動させるトゥッティまで幅広い音響の差が出せる。そしてフルートやオーボエ、弦楽器のようなストップ[音栓]があったり、オーケストラのイミテーションでもある。ではそれが、実際のフルートとオルガンのフルートが合奏するとどうなるのか‥‥鏡像のような音響など実験も少しずつ織り交ぜています」

そしてこの新作は権代にとって新しく大きな挑戦だという。

「僕はこれまで作曲するとき、音そのものを聴いていない。モティーフがどのように展開していくか、といったようなところを聴いて、書いてきた。しかし僕は池田亮司さんの音楽を聴いた時に生まれて初めて〈音を聴く〉っていうことをした気がして目から鱗が落ちました。そこにも変化によって作られる時間軸があるんですが、あの体験は自分の中でも大きな転換点になった。さらに、ここ2年ほどオペラに関わって言葉とかかりきりだったことの反動もある。──だから新作では極力〈音を聴く〉。これまではスケッチを全部言葉で書き記したり設計図を用意してから具体的に音響を固めてゆく作業を繰り返していたのですが、新作は〈音〉から創ってゆく。音響の変化でどのような時間を創っていけるか、テキストをもたず純粋に音だけで地図を作っていくことに挑戦しています」

別の意味で挑戦だった作品、サイトウ・キネン・フェスティバルとカーネギーホールの委嘱作品《デカセクシス》(2010年)と聴き比べられることも大きな意味を持つだろう。松本での初演の後ニューヨーク再演の際に手を入れた改訂版の日本初演になる。

「この曲は[初演の際に併演された]ブラームスの交響曲第1番と同じ編成で、という厳しい注文でした。これはオーケストラの音色や響きにあまり頼れないことでもあるから、僕がこだわってきたフォルム、形で勝負するしかなかった。時間軸上での展開──コンポジションということが《デカセクシス》の基本にある」
テキスト、時間、空間──思索と音楽の根源へ。

「音楽をやっている以上、我々の住んでいる言語世界を一瞬でも超えたいという思いはある。僕は龍樹とか大乗仏教なんかの、言葉を理詰めでとことん追究して言葉を超えようとする努力にも凄く影響を受けた。本当に抽象的に音だけで聴くことができるのかはまた別の問題なんだけど、作曲家としては、音で言語を超えた時空を創り出したい。だけどどこまでいっても自分は言語の人間で、タイトルにもこだわる(笑)。──音楽は、ある時間と空間にどのような切り口を与えるかだと思うんですけど、音楽の時間を決めるときに僕は全て日本語で考えている。言葉は曲者だけどそれなしでは音ひとつ扱えない。凄いジレンマなんです」

ぎりぎりまで研がれた思考が、音となりホールへ広がる。作曲家の切り拓く最前線を体感する機会、これは楽しみだ。

権代敦彦(ごんだい・あつひこ)
1965年9月6日東京都生まれ。少年期にメシアンとバッハの音楽の強い影響のもとに作曲を始める。桐朋学園大学音楽学部作曲科を経て、90年同大学研究科修了後、フライブルク音楽大学現代音楽研究所に留学。91年よりパリ・IRCAMでコンピュータ音楽を研究、実践。94年よりイタリアのチッタ・ディ・カステロ市の芸術奨学金を得て同地にて研修。作曲を、末吉保雄、クラウス・フーバー、フィリップ・マヌリー、サルヴァトーレ・シャリーノに、オルガンをジグモント・サットマリーに師事。カトリック教会のオルガニスト、桐朋学園大学作曲科非常勤講師(95年~)もつとめている。

『作曲家の個展2013-権代敦彦』
10/11(金)
18:20~ プレコンサート・トーク(権代敦彦×向井山朋子×小沼純一)
19:00開演
会場:サントリーホール 大ホール
http://www.suntory.co.jp/sfa/music/

カテゴリ : インタヴュー

掲載: 2013年09月09日 19:00

ソース: intoxicate vol.105(2013年8月20日発行号)

interview & text & photo:山野雄大