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インタビュー

竹本駒之助



竹本駒之助_A



女流義太夫人間国宝、『和田合戦女舞鶴』に挑む



11月1日と2日、女流義太夫人間国宝である竹本駒之助がKAAT神奈川芸術劇場に初めて登場する。 KAAT神奈川芸術劇場ならではの舞台空間での上演が予定されているという。

義太夫節とは何か?
人形浄瑠璃の歴史から〜

「浄瑠璃」という音楽の起源は、牛若丸(のちの源義経)と浄瑠璃姫の恋物語「浄瑠璃物語」にある。慶長年間(16世紀末)の京都で、「人形戯」(人形を操作する芸能)と結びついて、「人形浄瑠璃」と呼ばれる新しい演劇が生まれた。
 「義太夫節」の創始は、初代竹本義太夫が貞享はじめ(1684-85)に大坂道頓堀で初めて興行した時。人形浄瑠璃の歴史の中では、最後に起きた流派であって、しかし最大の隆盛を迎えた存在。竹本義太夫と提携した作者・近松門左衛門の活躍もあって、「浄瑠璃本」(義太夫節の台本・楽譜)は日本全国に流行した。

「浄瑠璃はほとんど悲劇ね。めでたいものなんてあまり無いです。始めから命吹き込んでないと出来ないですよ。若い頃はこれ言いにくいなとか、入り込もうと思っても恥ずかしいなと思う事があるんです。義太夫って、本当に命がけでやらなかったら人を感動させられないです」

18世紀の経済都市としての「大坂」の隆盛を背景として、中央(大坂・京都・江戸)の人形芝居はすべて「義太夫節」に独占されるようになる。中央で活躍した系統の後裔が、現在の「人形浄瑠璃文楽」だ。一方、中央で初演された作品をいち早く地方へ巡業して伝えていったものが淡路島を本拠とする人形諸座(淡路諸座と呼称)で、その後裔が現在の「淡路人形座」。
 駒之助が育った淡路島はまさに淡路諸座と、大阪の浄瑠璃とが交錯する地点だったといえるかもしれない。



義太夫の技
人形浄瑠璃の歴史から〜

「夕方になると公民館に集まって、だんじりの稽古をするんです。だんじりは義太夫をくずして唄にしたものです。私がいたころは子供と大人の男性でやりました。でお年寄りの方がずっと伝承していらっしゃる訳。だから義太夫を知らない人はいなかった。いつも、いつも聴こえてきていたんです。
 終戦後学校で校長先生が浄瑠璃のクラブを作られたのですけど、教えてくれていたのが太夫ではなく人形遣いの人だったんです。母は、人形の人に義太夫節を教わるっていうのは良くない、きちんとした師匠につかないとお稽古ごとはいけないって、近所の義太夫の師匠のところに連れて行くというので嫌々行ったんです。私が稽古に行っているっていうから、男の子が窓から皆首をだして見てるんです。こっちは気になって、『今日は誰が来てるな、あの子来てないな』って全然覚える気がない(笑)。淡路島には当時は四国から来る太夫さんが多かったんですが、ある時『一ヶ月も聴いていたんだから、声をだしてごらんなさい』って言われて。そうしたら全然覚える気がなかったのに、ずっと聴いていたら出来るものなんですね。そのうち大阪の浄瑠璃の方達が見えて、うちに泊まられたことがあったんです。私が浄瑠璃を語るということで『ちょっと聴こう』。それで『これは天才だ』って話になって、それでそのうち本格的に大阪で内弟子にということになり、修行が始まったのです」

ちょっと視点をずらしていくと、正面からの表情とは全く違ったとてもスリリングな世界が見えてくる。太夫が何人もの登場人物を語りわけたり、三味線の弾き方ひとつでもキュッとスライドしたり、琴や胡弓が加わったり、駒之助が「義太夫は欲張り」と表現する通り、激動の情景を表現するため様々な工夫がなされている。
 そしてそれは太夫の声と三味線との絶妙な「グルーヴ」としか言いようの無い力で満たされている。



“浮いた”声出しなさい!
駒之助の修業時代

──リズムがある訳でもないのに三味線とどういう連携をしているのか不思議だったんです。どっちがリードしているのか、阿吽の呼吸なのか。

「ああ、それね。三味線のほうがリードするところもあるし、太夫のほうが仕掛けないかんところもある。それはしょっちゅう、常にあります。いま長唄でも何でもキッチリになりすぎるから、昔と違って面白みが無い。昔のものはなかなか五線譜のようにぴちっといかないんです。違っているから味なの。微妙なズレがあるから面白さがあるんです」

──修業時代に会得したことで転機になるような、印象に残る事はありますか?

「声出すだけならなんてことはないんですけど、音曲だから浮かさなきゃ行けない。『もっと浮いた声出しなさい』って言われてもね、“浮く”(三味線の音とずらしてグルーヴをつける)ってことがなかなかわからない。毎日違う違うばーっかり1時間くらい言われて、そのうちそこで止まってしまうんですね。そのお師匠さんのところに行くと思うと、胃が痛くなってくる。そこの家の角に「寝ぼけ堂」という煎餅屋さんがあるの。寝ぼけ堂のところ通るときゅう〜っとさしこんできますねん(笑)。怖いお師匠さんやなと思って。おかみさんが玉露のとってもいいお茶出してくださって、慰めてくれはる。『あんな。お父さん怒らはるけどな、あんたかわいいから怒らはるねんで』って言わはるんですけど、こっちは『嘘ばっかり…』って(笑)叱られるからお三味線さんが可哀想に思って、調子をあげたり下げたり、調子べこべこにしてウラで出したり、いろいろ気を使ってくれるの。そしたらお師匠さんは『そんなことせんでええんや!』ってまた叱られる訳(笑)。そのうち百遍くらい言ううちに『それやがな』って言われて。あんまり何回も言っていたからどれかわからん(笑)。知らないうちに自分の肌身で出来たんですね。それがいちばん印象に残ってます」

──“浮く”っていうのはいま師匠から見ても重要なことなんですか。

「すごく重要な事です。だから本を見ても、“浮く”ところは“ウ”と書いてある訳。だけど“浮く”っていうことが出来る人はあんまりいませんよ。聴いていても『浮いてないな』って。文字も三味線と三味線の間に入っていて、間、間で仕事して、きっちりにやったら駄目なの。皆キッチリキッチリ言う。そういうのは“かっつりこ浄瑠璃”って言うの。『かっつりこや』って(笑)」



めったに上演される事がないという、
「和田合戦女舞鶴」について

今回上演されるのはめったに上演される事の無い並木宗輔の代表作のひとつ元文元年(1736)大坂道頓堀豊竹座初演『和田合戦女舞鶴』三段目ノ切「市若丸初陣の段」。和田合戦は鎌倉初期、北条氏のものとなりつつある幕府に和田義盛が起こした反乱。巴御前と並び称される女傑・板額を主人公に、権力闘争に巻き込まれた母子の絶望的な運命を描く大作である。男勝りという言葉すら超えた女傑・板額を演じる時は「女性であって女性であってはいけない」と教えられたのだそうだ。

──初演の時板額は人形も倍の大きさのもので、そのくらいの気持ちの持ち主だったんですよね。

「子供に何?ってきくのも『何ッ!?』ってびっくりするような言い方をする。気の強さが全然違う。役によってその人その人の人物、性根を掴んでないと、どういう腹具合になっているのかを見ないといかん。それが大変です。それで出てくる物が皆違ってくる。
 『和田合戦女舞鶴』の板額も50、60歳になってからやる演目ですが、子供の時に師匠が本当に舞台でやるように聴かせてくれたんです。その後何十年もかかって、身体についてくる。まだわからないだろうけれども、わからないうちに聴いておく。これが大切なんです。当時は私も聴かせていただいても全然わからなかった。一口語ったときに『そんなんとちがう!』言うて伏せられてしまって。そのときはそんな難しいもん教えるからだって思ってたけど(笑)。時が経ったら『ああ、そうだったんだな』と。師匠のほうが先を読んでる訳です。わからないうちに肌身につけることが大切です。
 『和田合戦女舞鶴』は一人一人が謀りごとをやっていますので、それぞれがどう企んでいるのかそらもう、本当に腹断ち切らんばかりのものですからね、こんなしんどいもん私やんのかいなって、ちょっと怖いです。やれんのかいなって。数ある演目の中でも、これがいちばん激しい悲劇かもしれない」

人形浄瑠璃はビジュアル的には人形がとかく大きくフィーチャーされるため、人形の動きに太夫が合わせると思われがちだが、実はこれは逆なのだ。

「歌舞伎は役者さんにあわせる。歌舞伎は役者さんが動けるように崩していますでしょ。こっちは要するに床(太夫・三味線)に人形があわせていく。そこの違いが大きいですね」

──そういう視点ひとつでも見え方が違って来ますね。こうやって見た方が面白くなる、というポイントはありますか。

「演奏する姿を見て下さい。文字(詞章)を見ながら聴かないことですね。 どこを聴いても聞き所だと思うんですよね。あらすじは先に読んでいただくなり、あとから読むなりして、 下を見て字を追うよりも、まっすぐ見て聴いていただいたほうがより楽しんでいただけると思います」



竹本駒之助(たけもと・こまのすけ)
女流義太夫、太夫。兵庫県淡路島出身。1949年、大阪に出て竹本春駒に師事。竹本駒之助を名乗る。文楽の諸師匠方に師事。1952年二世鶴澤三生を相三味線に東京で演奏活動を始める。1970年、四世竹本越路大夫の門人となる。1999年、重要無形文化財「義太夫節浄瑠璃」個人指定保持者(人間国宝)に認定。第1回豊澤仙広賞(1986年)、第26回モービル音楽賞(1996年)、紫綬褒章(2003年)、旭日小緩章(2008年)、第61回神奈川文化賞(2012年)などを受賞。



LIVE INFORMATION


竹本駒之助 KAAT 初お目見得公演
『和田合戦女舞鶴』三段目ノ切「市若丸初陣の段」
出演:竹本駒之助(女流義太夫 太夫)鶴澤津賀寿(女流義太夫 三味線)神津武男(お話 早稲田大学高等研究所 招聘研究員、早稲田大学演劇博物館 招聘研究員)
11/1(金)15:00開演 / 2(土)15:00開演
会場:KAAT 神奈川芸術劇場 〈中スタジオ〉
http://www.kaat.jp/



カテゴリ : インタヴュー

掲載: 2013年10月10日 10:00

ソース: intoxicate vol.106(2013年10月10日発行号)

interview & text : 星憲一朗 取材協力: caffe e trattoria Trecent Due nihonbashi