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第19回 ─ 〈生きていくためのなにか〉が込められたジョイ・ディヴィジョンの音楽

連載
久保憲司のロック千夜一夜
公開
2004/11/25   20:00
テキスト
文/久保 憲司

『NME』『MELODY MARKER』『Rockin' on』『CROSSBEAT』など、国内外問わず数多くの音楽誌でロック・フォトグラファーとして活躍、さらにロック・ジャーナリストとしての顔も持つ〈現場の人〉久保憲司氏が、ロック名盤を自身の体験と共に振り返る週間日記コラム。今週はマンチェスターの伝説バンド、ジョイ・ディヴィジョンについて。

11月18日(木) JOY DIVISION

  ベルギーを代表する、いや今一番革新的なファッション・デザイナー、マルタン・マルジェラのお店に行くと、80年の初頭にぼくたちニュー・ウェイヴ少年・少女が夢見ていた世界が広がっていて、頭がくらくらする。精神病院のような、頭のおかしくなった金持ちの少女の部屋のようなお店。そこには、アンジェイ・ワイダの映画「灰とダイヤモンド」のレジスタンスの少年達が着ていたような服が並んでいて、本当にワクワクする。しかし、残念ながら40歳となった元ニュー・ウェイヴ少年は服をうまく選ばないと、ただのオッサンの休日みたいな格好になってしまう。

 ジョイ・ディヴィジョンの歌の世界はまさにこのマルタン・マルジェラのお店をモチーフにしていたかのように暗くて、ギスギスしている。パンクにもその要素があった。パンクに絶望を感じたものは暗くなっていったのだ。ゴスとはそういうものだったし、その頂点がジョイ・ディヴィジョンだった。構造主義というのもあった、「現代人は全員軽いパラノイアだ」というメッセージ、それは衝撃だった。そういうものとも関係していると思う。

 今、エクスタシー文化を終えたぼくたちはまたパラノろうとしているのだと思う。エレクトロ・クラッシュの台頭はその代表だろう。ジョイ・ディヴィジョンなど80年代初期の音楽が若い世代に支持されるのもそういうことなのだろうと思う。でもジョイ・ディヴィジョンはパラノろうとしていたのではない、そこから解放されようとしていたのだ。デヴィッド・ボウイが夢みた〈ストゥジーズとクラフトワークの融合〉が生む新しいダンス・ミュージック、ロックをジョイ・ディヴィジョンは自分たちのものにした。

 映画「24アワーズ・パーティー・ピープル」のイアン・カーティスのあの気の狂ったような踊りを思い出してくれ。ぼくはあの踊りがどこからきたのか長いこと分からなかったのだが、先日はたと気づいた。あれはデヴィッド・ボウイのダンスを高速で踊っていたのだと。デヴィッド・ボウイとイアン・カーティス、二人のソウル・ボーイの夢。それはベル&セバスチャンのスチュアート・マードックにも受け継がれている。今年のフジ・ロックでのあの帽子と踊りはまさにソウル・ボーイそのものだった。なぜベルセバがトレヴァー・ホーンをプロデュサーに起用したのかという謎もこれで解ける。ソウル・ボーイとは何か、それは労働者階級。モッズ、ノーザン・ソウル、パンク、アシッド・ハウスに脈々と受け継がれている血。

 スロッビング・グリッスル、サイキックTVのジェネシス・P・オリッジの家にいったらあまりレコードはなかったがヴェルヴェット・アンダーグラウンドのレコードは全てそろっていた。そのようにジョイ・ディヴィジョンのCDは全部そろえなければならない。一枚目の方がロックで2枚目の方がもっとダークになっているとか、そういう問題ではない、ジョイ・ディヴィジョンの音楽にはソウルが、生きていくための何かが入っている。それが何なのかぼくたちはヒモとかなければならない。

 イアン・カーティスの奥さんが『Touching from Distance』という本でイアン・カーティスとの日々を実に冷静に書いていた。業界の噂では、イアン・カーティスの自殺の原因はベルギー人の彼女アニックと奥さんとの間で悩み苦しんだ所為だと囁かれていた。本当のことは分からない、でも奥さんもそういう事実を淡々と書いていた。まさにジョイ・ディヴィジョンの曲“Love Will Tear Us Apart(愛に引き裂かれる)”だったと。あの素晴らしい曲、誰が聴いても元気になる曲がただの不倫の歌だという事実にはショックを受けるが、でもまだ輝きは失ってはいない。すべての曲がまだ輝いている。死を選んだ男の曲がなぜ今もぼくたちを元気にするのかよく分からない。不倫の歌も普遍的なラヴ・ソング、いや生きるということを謳歌する歌に聴こえさせてしまう、それが芸術なのかもしれない、いやこれこそが芸術なのだ。だから、全部そろえないとダメなのだと思う。

・ジョイ・ディヴィジョンの作品を紹介