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第9回 ─ ソーラーが照射した新しい時代

連載
IN THE SHADOW OF SOUL
公開
2005/10/20   14:00
更新
2005/10/20   18:24
ソース
『bounce』 269号(2005/9/25)
テキスト
文/JAM、出嶌孝次、林 剛

華やぎと躍動で80年代ソウルを彩った西海岸の最重要ブランド

〈Sounds Of Los Angeles Records〉の頭文字から取られたソーラーは、80年代屈指のブラック・レーベルである。ひと頃は〈80年代のモータウン〉とまで称されたこのソーラーは決して長命のレーベルではなかったが、ブラック・ミュージックが80年代に向かうべき方向を照らし出した、極めて重要なヒット・ファクトリーだったと言っていい。

 そもそもソーラーは、アーティスト・マネージメントで古くからその慧眼ぶりを買われてきたディック・グリフィーと、お化けTV音楽番組「Soul Train」のホストであるドン・コーネリアスの2人が75年に立ち上げたレーベル、その名もソウル・トレイン・レコーズを母体としている。TV番組が冠についたレーベルだけに、アーティスト・レパートリーも番組との連動性がまず尊重され、番組のダンサーが中心になって結成されたソウル・トレイン・ギャングや、シャラマー、キャリー・ルーカスのようなアーティストが鳴り物入りで登場したが、それと並行してウィスパーズのようなビッグネームとの契約も果たすなど、新興レーベルとしてはケタ外れの引力を有していた。そして、78年にドン・コーネリアスが番組運営のほうに専念することを決め、レーベルはグリフィーを中心に再出発を切ることになった。それがソーラーというわけだ。

 スタート早々、ソーラーからは次から次へとおもしろいようにスターが誕生している。ソウル・トレインからの移籍組であるシャラマーやウィスパーズは言うに及ばず、レイクサイド、ミッドナイト・スターといった大型ファンク・バンド、そして何より大きかったのは〈Sounds Of Los Angels〉をそのまま体現したダイナスティの存在だろう。男女混合のこの大型バンドを率いていたリオン・シルヴァーズは、思いきりグルーヴィーでありながらもスコーンと抜けた青空を思わせる、いかにもLAの空気を凝縮したようなプロダクションを確立。やがて彼はソーラーのNo. 1プロデューサーとして揺るぎないポジションに昇り詰め、いわゆる〈ソーラー・サウンド〉のブランディングに最大の功労を果たすこととなった。シャラマーの“A Night To Remember”や、ウィスパーズの“It's A Love Thing”などはまさにソーラーのひとつのピークを演出した典型的な〈ソーラー・サウンド〉である。

 このリオン・シルヴァーズのように、パフォーマーのみならず、才能あるプロデューサーに恵まれ続けたのもソーラーが80年代を勢いよく駆け抜けることができた大きな理由で、もともとはミッドナイト・スターの弟分のような格好でデビューしたディールのメンバーにすぎなかったLA・リード&ベイビーフェイスの才覚に目を付け、彼らをプロデューサー/コンポーザー・チームとして羽ばたかせたのがソーラーなら、ベイビーフェイスに初のソロ・アルバム『Lovers』を録音させたのもソーラーだ。やがて彼らは、80年代の中盤からリオンに代わってレーベルの音楽面を牽引する存在となり、それまでのソーラーとは一味異なるヒットが続出していくことになる。

 結局はLA&ベイビーフェイスの勢いがレーベルの枠からこぼれ出ていくのと時を同じくして、ソーラーの勢いにも翳りが見えはじめるのだが……80年代におけるブラック・ミュージックの音楽的な進歩を語るなら、それはソーラー抜きでは決してありえないということを改めて気に留めていただきたい。* JAM