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第26回 ─ 秋だから……スプリング

連載
IN THE SHADOW OF SOUL
公開
2007/10/11   00:00
更新
2007/10/11   17:24
ソース
『bounce』 291号(2007/9/25)
テキスト
文/林 剛

ソウルの遺産を新たな視座からリフォーマット。今回は設立40周年を迎えたNYのレーベルです!!

リイシューも進行中! 時代に目配せしながら飛躍を続けたレーベル

 今年はレーベル創立の節目に当たる年なのか? アトランティックが60周年、スタックスが50周年を迎えるなかで、ひっそりと40周年を迎えようとしているレーベルがあった。スプリング。ソウル史に燦然と名を残す……というほどの知名度はないものの、ミリー・ジャクソン、ジョー・サイモン、ファットバック・バンドといったスーパースターを抱えた忘れえぬ名門レーベルだ。

 実際にレーベルが稼動しはじめたのは68年とされるが、設立は67年。NYを拠点に、ビル・スピタルスキー、ロイとジュリーのリフカインド兄弟という3人のレコード・ビジネス経験者によって、スプリングの歴史はスタートした。以前からビルはアトランティック/アトコで諸業務に携わり、リフカインド兄弟もレーベル運営などを経験。そこで培ったノウハウを活かし、彼らはロイが以前マネージャーをしていたリトル・エヴァ(・ハリス)や交流のあったジョー・サイモンらを抱え込み、ポリドールの配給を通じて幸先の良いスタートを切った。傘下では白人のティーン・ポップなどを扱うイヴェントもスタート。ただ、白人ながらR&B業界に身を置いてきた経営者3人が力を入れたのは、あくまでもソウルやファンクだった。

 そうしたなか、スプリングの発展に大きく貢献したのが、同社からレイ・ゴドフリー名義でソロ曲を出してもいたレフォード・ジェラルドだ。彼がプロデュースしたジョー・サイモンやミリー・ジャクソンのヒットでレーベルの勢いは加速。ジョーやミリーのサザン/ディープ的なアプローチだけでなく、デトロイトやフィリーのサウンドにも目配せしながら良質な70年代ソウルを発信していく。また、ファンクやディスコが台頭してくると、その看板をファットバック・バンドに背負わせ、NYストリート・ミュージックの発信源としてもその一翼を担うことになった。80年代初頭にはメジャー配給に頼らないポッセを傘下に立ち上げ、ジョセリン・ブラウンらを輩出。その数年後、セールスの低迷でレーベルは幕を閉じてしまうが、〈飛躍〉という意味を込めて命名されたと思しきスプリングが、〈春〉のようにフレッシュで、〈バネ〉のように柔軟な発想を持ったレーベルであったことは、いまもリイシューが続く名盤群を聴けばおわかりいただけると思う。
▼スプリングに所属した面々の別レーベル作品。

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