(左から)船木明行(b)守安祥太郎(P)渡辺貞夫(as)渡辺明(as)平岡昭二(ds)五十嵐明要(as)山屋清(as)
戦後、いち早くモダンジャズの録音を開始したキングレコードのカタログから、
初CD化を含む入手困難盤が30タイトル一挙リリース
未来はどうなっているのか。そんな世界を見てみたいという好奇心は、人間誰もがもっている。タイムマシーンは、それを可能にする夢の機械だけれども、物語に登場するタイムマシーンの舞台のほとんどが、過去の世界なのは何故だろう。すでに終わっている世界とはいえ、やはり異世界であることに変わりがなく、それはそれで、また別の好奇心の対象になるのだ。
たとえば、人が過去の音楽に惹きつけられるのは、単に懐かしさだけではない。不思議なことに懐かしさと言っても、気がついてみると、まだ自分が生まれていなかった時代の音楽を懐かしく思うことがあったりする。音楽は繰り返され、いつの間にか過去のものも自分の中で共有されてしまうことがあるようだ。といっても、近過去でも共有されない過去の音楽は異世界となるが、それはそれで奇妙な親近感が生まれたりする。そのとき、これまでの常識にとらわれない音楽の聴き方、楽しみ方が生まれる。
レア・グルーヴとか、クラブ・ミュージックが生まれたとき、旧来のジャズ・ファンはびっくりしたものだ。それまでのジャズ観からすれば、見向きもされず、捨てられていた音楽が、突然宝石のように扱われ、中古市場で高値で取引される。まったくそれは価値観の転倒だが、けれどそれは歴史観の転倒というわけではなく、重要なのは、それがトータルな音楽センスによって牽引されていることで、それまでの常識にとらわれないということだろう。
むろん、それで歴史の見方が変わることがある。そもそもその時代、その時代の常識的な音楽観が、その時代をしっかり見据えて作られてはいないからだ。前時代からの常識がそのまま継続され、発想の転換はなかなか容易なことではない。けれど、少し距離を置いて見ると、そこにまったく違う世界が見えてくることがある。それはとんでもなく刺激的な世界で、もうそんな世界は二度と作れないんじゃないかと思えたりする。
たとえば日本のジャズは、身近な世界でありながら、何とも不思議な異世界に見えてくるかもしれない。時代が半世紀も経ると、そこは十分ワンダーランドである。「三丁目の夕日」を、音楽の世界にあてはめると、もはやそこは刺激的な音の洪水である。そんな世界の扉を開き、夢中になる人が出現しても当然で、かつては見向きもされなかった日本のジャズもまた、高値でレコードが取引される時代になった。