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長谷川きよし、新作とフィリップス時代の8枚を10/14に同時発売

公開
2012/10/15   13:20
ソース
intoxicate vol.100(2012年10月10日発行号)
テキスト
文/鈴木智彦(タワーレコード本社)

長谷川きよし、新作とフィリップス時代の8枚を10/14に同時発売

僕と長谷川きよしの出会いは、丁度10歳になるかならないかの頃にラジオから流れて来た「別れのサンバ」であった。10歳と言えばやっと小学校高学年にさしかかった頃であり、無論サンバ音楽の事などなにも知るよしもないが、その曲の流れるような不思議な旋律と躍動するリズム、そして何ともやるせない憂いと翳りを帯びた歌声に感応してしまうような素地が、当時の子供一般に備わっていた(と僕は思う)という事がまず驚きである。この曲がリリースされた‘69年という年は、アメリカの敗北が決定的となりベトナム戦争が終焉に向かうニュースや、アフリカでの内戦がもたらした悲惨な飢餓のニュースなどが頻繁にTVニュースで報道され、ラジオからは、そんな世界の混迷や歪みを告発したパリでの女学生の焼身自殺事件をテーマにした「フランシーヌの場合」(新谷のり子)という曲が繰り返し流れていた年である。大人たちは世界の混迷に戸惑い、不安に慄き、自分の事で精一杯で子供の事などに構っていられず、そして子供は子供で精一杯背伸びをして、自分のアンテナでこの世界の真実を知りたい、キャッチしたいと熱望していた時代。「別れのサンバ」を歌っていた長谷川きよしでさえ、当時は未だ高校を卒業して間もない10代の若者であった。

12歳でクラシック・ギターを学び始め、'67年(高校生時代)に友人の勧めで出演したシャンソン・コンクールで入賞したのを契機に『銀巴里』などで歌い始めシンガー・ソング・ライターとしての道を歩み始めた長谷川きよし。その後直ぐにレコード会社と契約を交わし '69年7月にリリースされた最初のシングル「別れのサンバ」が、ラジオの深夜放送をきっかけに大ヒットを記録。この幸運なスタートが、今日に至るまでの40年間以上に渡る音楽創造活動の礎になった事は間違いないが、彼はヒット曲のいくつかだけで記憶されるような懐メロ・シンガーなどではなく、常にその音楽でその時代、時代の空気感のようなものを自らの音楽の中に取り入れながら、貪欲なまでに音楽的な変化と着実な進歩(歌も、ギター演奏も含む表現のヴァリエーションの豊かさの追求)を遂げて来た稀有な音楽家であるという事をここで改めて強調しておきたい。シャンソンやサンバなどの音楽に込められた大衆の心~人生に含まれる全てをポジティヴに肯定するようなその心を、日本語で誠実に歌い続けて来たこの素晴らしい音楽家を深く知ってもらう為には、だからヒット曲のいくつかとシングル曲を編集したベスト盤のようなものでは物足りない。そこで今回、随分長い間入手が困難であった彼の『フィリップス・レーベル』時代のアルバム作品全て(スタジオ録音盤6枚とライヴ録音盤2枚)を、タワーレコード限定という形ではあるが復刻させて頂いた。'69年から'75年の間に発売されたこれらの作品を通して聴いて頂ければ、きっとそこに、その時代、時代に寄り添いながら、あなたや僕に向けて語りかけるように歌う誠実な歌い手、長谷川きよしの姿を発見してもらえるはずだ。僕のように、リアル・タイムでそこにいた人間でなくとも、そのような歌い手と(追体験でもいいので)出会う事により、きっと困難な人生に立ち向かう勇気のようなものを与えてもらう事だって可能ではないか?と思う。

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