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落語家の立川談志が死去、タワー〈NMNL〉ポスターではハイロウズと共演

 


立川談志×ザ・ハイロウズ 〈NO MUSIC, NO LIFE.〉ポスター

 

落語立川流の家元である立川談志が、11月21日に亡くなっていたことが昨日24日に発表された。享年75歳。彼は喉頭がんによる体調不良と体力低下で自宅療養および入院を続けていたが、先月27日に容態が急変。約3週間のあいだ一度も意識が戻ることはなく、都内の病院で永眠したという。

36年生まれの談志は、16歳の時に柳家小さんに弟子入り。27歳で真打に昇進し、〈五代目 立川談志〉を襲名した。自身が発案した日本テレビの長寿番組「笑点」の司会者としても人気を集めた彼は、71年から77年まで議員としても活動。83年には真打制度などを巡って落語協会を脱会し、落語立川流を創立して家元となった。晩年は闘病が続き、3年前に発症して治療を行った喉頭がんが昨年11月に再発。本人の希望で声帯摘出はせず可能な限り高座へ上がり続けたが、今年3月に開かれた一門会での〈蜘蛛駕籠(くもかご)〉を最後に活動を休止。その後はがんの進行による呼吸困難の症状が発生し、気管切開手術を受けていたこともあきらかとなった。

 


 

ジャンルに囚われない型破りな活動を展開した談志師匠は、2003年と2004年に談志2 REVOLUTION名義でラップに挑戦したシングル“アメリカ”と“国会”を発表。また、2002年12月にはタワーレコードの〈NO MUSIC, NO LIFE.〉ポスターにザ・ハイロウズと共に登場しており、家元の行きつけだったという浅草の食堂で行われた撮影ではバーボンのハイボールを周囲に勧め、全員がほろ酔い状態に。ほかにも、撮影の最後にハイロウズのメンバーひとりひとりに直筆で〈お前ら音楽で世間に喧嘩を売って来い〉と書いた色紙を渡すなど、師匠らしい豪放磊落な一面を見せてくれました。

謹んで故人のご冥福をお祈りいたします。

※2007年に披露された伝説の〈芝浜〉についても触れた、立川談志のインタヴュー記事はこちら

カテゴリ : ニュース タワー限定 | タグ : 訃報 NO MUSIC, NO LIFE. 落語

掲載: 2011年11月24日 22:09

更新: 2011年11月25日 13:00