NHK BS「玉木宏 音楽サスペンス紀行」で話題!ショスタコーヴィチ:交響曲第7番“レニングラード”
ショスタコーヴィチ自作の交響曲第7番の断片を弾く
玉木宏 音楽サスペンス紀行▽ショスタコーヴィチ 死の街を照らした交響曲第7番
2019年1月2日(水) 午後7時よりNHK BSにて放映された「玉木宏 音楽サスペンス紀行▽ショスタコーヴィチ 死の街を照らした交響曲第7番」は、第2次世界大戦中に作曲され、米ソ両国で盛んに演奏されたこの作品についてのドキュメンタリー番組で、非常に興味深い内容をもっていました。番組ホームページにある概要は以下の通りです。
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第二次世界大戦のさなか、ドイツ軍に包囲され過酷な状況にあったレニングラードで、ある演奏会が行われた。ショスタコーヴィチが故郷・レニングラードにささげた「交響曲第7番」。飢えや寒さと闘いながら、人々はどのようにして“奇跡のコンサート"を実現したのか? 一方、作品の楽譜は密かにマイクロフィルムにおさめられ、遠路アメリカまで運ばれた。ソビエトとアメリカの大国同士が音楽で手を結んだ、驚くべき政治的背景とは?
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包囲されたレニングラードで消防隊を務めたショスタコーヴィチ
この作品は、レニングラード(現サンクトペテルブルク)出身のショスタコーヴィチが作曲した7番目の交響曲で、1941年7月19日~12月27日に作曲されました。ナチス・ドイツによるレニングラード包囲戦(1941年9月8日 - 1944年1月18日)のさ中も作曲は進められ、同年9月17日、ショスタコーヴィチはレニングラードの放送局より、市民を励ますために交響曲を作曲していることをアナウンスします。
「1時間前、私は、新しい交響的作品の最初の2つの楽章を書きあげました。作品完成の暁には交響曲第7番となるものです。…わたくしは、かつて一度も故郷を離れたことのない根っからのレニングラードっ子です。今の厳しい張り詰めた時を心から感じています。この町はわたくしの人生と作品とが関わっています。レニングラードこそは我が祖国、我が故郷、我が家でもあります。何千という市民の皆さんも私と同じ想いで、生まれ育った街並み、愛しい大通り、一番美しい広場、建物への愛情を抱いていることでしょう。」
その後、レニングラードの状況が悪化すると、ソ連当局はショスタコーヴィチ一家をレニングラードからクイビシェフ(現サマーラ)へ疎開させ(10月1日)、交響曲第7番の完成を命じます。同年12月27日に作品は完成。世界初演は1942年3月5日、クイビシェフにてサムイル・サモスード指揮、ボリショイ劇場管弦楽団で行われました。初演は大成功を収めました。その後、この曲は3月29日にモスクワで演奏され、4月11日には、スターリン賞第1席を受賞しました。
その間、1941年12月にアメリカが第2次世界大戦に参戦。アメリカは連合国への武器援助を始めましたが、ソ連への援助は世論が反対していました。そこで、成立の経緯がレニングラード包囲戦と深く結びついたこの交響曲が政治的に利用されることとなりました。
マイクロフィルムを見るユージン・ワイントラウブ
この交響曲の楽譜はクイビシェフでマイクロフィルムに収められた後、スパイ映画さながら陸路でテヘランに運ばれ、カイロ経由で連合国側国家に運ばれました。マイクロフィルムはアメリカでは音楽出版社のユージン・ワイントラウブの元に渡りました。クーセヴィツキー、ストコフスキー、ロジンスキーがアメリカ初演の指揮者に名乗り出ましたが、ワイントラウブは反ファシズムの象徴でもあったイタリア出身の大指揮者アルトゥーロ・トスカニーニに初演の指揮を委ねました。またワイントラウブは、マイロフィルムでの輸送を宣伝に大いに利用しました。
1942年7月19日、アルトゥーロ・トスカニーニ指揮、NBC交響楽団の演奏によるアメリカ初演の模様は、全米にラジオ中継され、空前の反響を巻き起こしました。アメリカ国内では1942年からその翌年にかけて62回も演奏されたという記録が残っています。アメリカの有名なニュース雑誌「タイム」1942年7月20日号の表紙は消防服姿のショスタコーヴィチが飾りました。米ソ両国の思惑通り、この作品がアメリカ世論を親ソ連に動かす力の一つとなった訳です。
TIME誌の表紙を飾った消防服姿のショスタコーヴィチ
一方、現地レニングラードでは、1942年8月9日、カルル・エリアスベルク指揮、レニングラード放送管弦楽団(現在のサンクトペテルブルク交響楽団)によりレニングラード初演が決行されました(名門レニングラード・フィルはシベリアのノヴォシビルスクに疎開していました)。ナチス・ドイツによる包囲の中、特別機で総譜が届けられ、前線から急遽演奏家たちを呼び戻し、オーケストラの欠員を補充しました。この日はまさにドイツ軍のレニングラード侵入予定日でしたが、演奏会のためにソ連軍が激しい砲撃を行ったため、ドイツ軍の攻撃が止み、初演は無事に行われました。
このように、交響曲第7番はファシズムへの抵抗と勝利を表した交響曲として認知されるようになりましたが、当時ショスタコーヴィチ夫妻にとって娘同様の存在であったフローラ・リトヴィノヴァは、以下のようなショスタコーヴィチの言葉を伝えています。
「第7は、そして第5も、単にファシズムについてだけでなく、われわれの体制、あるいはあらゆる形態の全体主義体制についての作品である。」
(タワーレコード 商品本部 板倉重雄)
アメリカ初演の録音
ソ連での初演の模様は録音に残されていませんが、アメリカ初演の模様は録音されています。イタリアの名指揮者トスカニーニが手兵のNBC交響楽団を振った力感あふれる名演です。
※1942年の古いモノラル録音ですので、音質は芳しくありません。予めご了承ください。
期待の最新録音
ラトビア出身のアンドリス・ネルソンスは、現在最も将来を嘱望されている指揮者で、既にボストン交響楽団とライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団という2つの名門オケの首席指揮者となっています。また2020年にはウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートの指揮者を務めることも決定しています。
旧ソ連時代を知る名指揮者たちによる録音
4人の現在活躍中の名指揮者による「レニングラード」。この4人は旧ソ連時代に青春時代を過ごしているため、上記した作曲の経緯を熟知したうえで指揮にあたっています。
巨匠バーンスタインの名盤
ショスタコーヴィチと同時代を生き、ニューヨーク・フィルとのモスクワ公演では作曲家にその演奏を絶賛されたバーンスタインによる2種の歴史的名盤です。
カテゴリ : Classical
掲載: 2019年01月08日 00:00