セルジュ・ゲンスブールの決定版ドキュメンタリーがDVD化

作詞作曲家/シンガー/画家/映画監督/小説家/カメラマンと多彩な顔を持ち異彩を放った才人セルジュ・ゲンスブール(1928.4.2-1991.3.2)。没後20年を過ぎてもなお、多くの人々を魅了する男。本作は、ゲンスブールがテレビやラジオに出演した際の発言や未発表のコメントなど、20代から60代まで約40年に及ぶ期間に渡りゲンスブールが自身の内面を語った録音テープを元に構成された決定版ドキュメンタリーだ。ブリジット・バルドー、ジェーン・バーキンをはじめ、愛娘シャルロット、バンブー、アンナ・カリーナ、ジュリエット・グレコ、ヴァネッサ・パラディといった女性たちの映像も彩りを添えている。監督は、旧ソ連のトランペッター、エディ・ロズナーについてのドキュメンタリーでエミー賞を受賞した俊英ピエール=アンリ・サルファティ。
【ゲンスブール語録】
――私はダンスホールのピアノ弾きの父と、スラブの魅力をすべて備えた美しい母の間に生まれた。たとえ私のルーツがロシア系ユダヤ人でも、知性の面ではフランス人だ。
※本名ルシアン・ギンズブルク。1928年、ユダヤ系ロシア人の父ジョセフと母オリアのもと、パリ20区・中国通りの小さなアパルトマンで生まれる。建築や絵の勉強をした後、1950年代よりクラブやキャバレーでギターとピアノの演奏を始める。ボリス・ヴィアンのライヴを聴いたことがきっかけで自ら曲を書くようになり、1958年『リラの駅の切符切り』でデビュー。1991年パリの自宅で亡くなる。
――ブリジットと食事して、わざと酔い潰れた。翌日、彼女が電話をくれ、「なぜ酔い潰れたの?」私はポツリと「君の美しさに圧倒されてね」。すると彼女は「あなたにとって最高の愛の歌を私に書いて」と。その夜書いたのが『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』、そして『ボニーとクライド』だ。ひと晩でね。
※『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』は1968年、当時恋愛関係にあったブリジット・バルドーとのデュエット。彼女のあえぎ声の演技とともにレコーディングされたが、夫ギュンター・サックスの怒りを恐れたバルドーに発売を拒否された。その後、1969年にジェーン・バーキンとのデュエットにより日の目を見ることになる。
――『ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ』の歌詞に「肉体の愛は出口なし」というのがある。地理的条件、女の股間は出口なし。袋小路で行ったり来たり。奔放なロマン主義だよ。
※1951年詩人ジョルジュ・ユグネの秘書、エリザベット・ルヴィツキーと結婚(1957年に離婚)、1964年ロシア皇族の元プリンセス、ベアトリスと2度目の結婚(1967年に離婚)に続き、1968年ジェーン・バーキンと3度目の結婚(1977年に離婚)。ジェーンとは離婚後も共同作業を続けた。1981年よりモデル・歌手のバンブーと同棲を始め、1986年に息子ルルが誕生した。
――私は15年前から可愛いロリータを探してた。実はすぐ近くにいたんだ、娘のシャルロットが。「ロリータを探してた」といっても、肉体的な意味じゃない。私はオペラで少女バレリーナを探すようなクソジジイとは違う。自分でも理解できない、抽象的な探究心なのだ。
※1965年フランス・ギャルのために書いた『夢見るシャンソン人形』が大ヒットを記録する。ジェーン・バーキンとの間に生まれた娘シャルロットとのデュエット『レモン・インセスト』を1984年リリース。他、TVミュージカル『アンナ』(1967年)に主演したアンナ・カリーナをはじめ、フランソワーズ・アルディやヴァネッサ・パラディなど、多くの女性アーティストに楽曲を提供した。