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Bobby Caldwell(ボビー・コールドウェル)|“ミスターAOR”追悼盤!未発表ナンバーも収録したベスト・アルバム『B'sフレイム~メモリアル・ベスト・オブ』

Bobby Caldwell

“ミスター・AOR”ボビー・コールドウェルの追悼盤。
厳選した珠玉の楽曲の他、未発表ナンバーも収録したベスト・アルバム!

国内盤2CD


■今年3月、惜しまれつつこの世を去ったシンガーソングライター、“ミスターAOR”ボビー・コールドウェルの追悼ベスト・アルバム『B'sフレイム~メモリアル・ベスト・オブ』
■「風のシルエット」「スペシャル・トゥ・ミー」「カム・トゥ・ミー」「ステイ・ウィズ・ミー」他、代表作をセレクトしたベスト・オフ・ベスト
■未発表ナンバー「Endlessly」収録
■解説・監修 金澤 寿和 / Toshikazu Kanazawa

■収録内容
選曲監修:金澤 寿和
「風のシルエット」
「スペシャル・トゥ・ミー」
「カム・トゥ・ミー」
「ステイ・ウィズ・ミー」
他38~40曲収録予定

代表作『HEART OF MINE』が初アナログ発売!


ボズ・スキャッグズ「ハート・オブ・マイン」、ピーター・セテラ「ステイ・ウィズ・ミー」、ピーター・セテラ&エイミー・グラントで全米No.1となった「ネクスト・タイム」、アル・ジャロウ「オール・オア・ナッシング・アット・オール」等のアーテイストへの提供曲をボビー自らリレコーディングした'89年のアーテイスト復帰後第1弾。

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●Bobby Caldwell プロフィール
1951年、ニューヨーク・マンハッタン生まれ。3月14日、東部ニュージャージー州の自宅で死去、71歳。17年に処方された抗生物質の影響で体調を崩し、長く闘病生活を送っていた。「風のシルエット」、「ハート・オブ・マイン」など数多くの珠玉のヒットナンバーで人気を得て、“ミスターAOR”と称された。

幼少の頃父親からプレゼントされたギターがきっかけで音楽に目覚め、シナトラ、カウント・ベイシーに始まり、ビートルズなどの数々のポップソングに傾倒した後、22歳の 時にリトル・リチャードのバンドに参加し、1976年「ザ・ハウス・イズ・ロッキン」でデビュー。これがスマッシュ・ヒットとなりアメリカ、カナダ、イギリス、南米等のディスコ、R&B、POPチャートを賑わして上位にランク・インしたものの、ロサンゼルスでの本格的なデビューには繋がらず、本拠地マイアミに戻り暫くは父親の事業を手伝う日を送る。その後母親の勧めでTKレコードへデモ・テープを持ち込んで認められ晴れて契約。そして78年に発表されたデビュー・アルバム『イヴニング・スキャンダル』の時点で、すでにメロディ・メイカーとしての才能を開花。特に、白人でありながら黒人アーティストのごときエモー ショナル・ヴォーカルを繰り出した、「風のシルエット」「スペシャル・トゥ・ミー」「カム・トゥ・ミー」といったナンバーは、高品質なAORとして名高い。

86年にピーター・セテラ&エイミー・グラントに提供した「ネクスト・タイム・アイ・フォール」が全米チャート1位に輝き名コンポーザーとしての地位を確立。87年には市川昆監督作品『竹取物語』(サントラ)へ「ステイ・ウィズ・ミー」を提供。88年、ボズ・スキャッグズのカム・バック作として「ハート・オブ・マイン」を提供。89年にパーラメントのCF曲として<カム・トゥ・ミー> <ステイ・ウィズ・ミー>が起用されリバイバル・ヒット。そしてオリジナル・アルバム『ハート・オブ・マイン』を発表。 また日本との繋がりも多く、2001年「セイ・マイ・ネーム」を高橋真梨子に提供、2002年竹内まりやのトリビュート企画に参加し、「カムフラージュ」をカバー。2003年には小田和正トリビュートに参加、「君にメリー・クリスマス」をカバー。 コロナ禍前までは毎年のように来日公演を行っていた。

【追悼】Bobby Caldwell(ボビー・コールドウェル)

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タグ : [anoto] AOR ロック復刻&発掘

掲載: 2023年07月11日 10:22