堀江眞知子、秋山和慶&東京交響楽団『プーランク: モノ・オペラ「声」(若杉弘訳による日本語版)』<タワレコ限定>2025年4月25日発売
国内盤CD
正に“Dream come true”のこのCDは、私にとって一生、やさしくそばに寄りそって
いてくれるであろう本物の「忘れられない人」になっていく……。と信じている。
―秋山和慶
たかい音楽性とすばらしいディクションで、ぼくの書いた《ことば》がおどってい
る。
―若杉 弘
秋山和慶・堀江眞知子の自主制作盤として1993年に作られて以来、一般流通することなく一部の関係者のみが保有していた幻のアルバムです。収録されているのはプーランクの「声」、しかも若杉弘による日本語訳版。今では稀少なスタジオ・セッションで、録音は往年の名エンジニア林正夫らコロムビアのスタッフが請け負い、オーケストラは東響という豪華なもの。CD化を前提とした若杉訳版の初録音でもあります。秋山和慶氏が保管されていたものをご厚意による提供を受け、限定数販売いたします。尚、同じ若杉弘による日本語訳版としては、1971年11月に伊藤京子のソプラノ、若杉弘指揮の東京フィルハーモニー交響楽団によって収録されたステレオ録音が後に2001年にビクターから発売されたことがありますが(VICC60257/9)、今回の盤はセッションでのCD化を前提とした意味で、若杉訳版の初録音と明記しました。
若杉弘による日本語訳は日本語の語感、リズムや音程が自然になるように繊細に書かれ、歌われることばがはっきりと聴こえてきます。そこへやさしく覆いかぶさる、協奏曲の指揮も得意とした秋山和慶の名伴奏。絶妙にバランスを整えドラマを動かし、音楽にしなをつくります。やわらかく寄り添うオーケストラから立ちのぼる香気と退廃的な美しさ。コクトーとプーランクが描いた一人語りの幻想的な世界に引き込まれます。堀江眞知子の品のある歌もみごと。團伊玖磨の《ジャン・コクトーに依る八つの詩》(堀口大學訳)やメノッティ作の《電話》も歌った経験を持つ彼女ならではの的を射た表現力が光ります。
解説書の充実ぶりにも注目です。まず原詩と若杉弘による日本語訳を対訳のかたちで掲載。「声」パリ初演から日本での受容をまとめ、楽曲分析を軸に物語をふかく考察した船山信子による解説があり、さらに、若杉弘のつづる作品との関わりや日本語訳執筆のいきさつ、秋山和慶による「忘れられぬ曲……」と題された、心にのこる文章を所収しています。
※限定数量盤
※解説書合計24ページ(船山信子氏による解説、若杉弘氏による解説「日本における演奏と訳詞について」、秋山和慶氏による解説「忘れられぬ曲・・・・・・」、原詞と訳詞(若杉弘氏)付)
※1993年に自主制作盤として製作されたCDの市販初発売(製作当時のCD)
(タワーレコード)
【曲目】
1.プーランク:モノ・オペラ「声」~ソプラノとオーケストラのための協奏曲
台本:ジャン・コクトー/若杉弘訳による日本語版・初録音
【演奏】
堀江眞知子(ソプラノ)
秋山和慶(指揮)
東京交響楽団
【録音】
1993年4月12・13日 アバコ4第1スタジオ
【Original Recordings】
日本コロムビア(製作)
堀江眞知子(ほりえ まちこ)
東京生まれ、宮城教育大学音楽科を卒業後二期会の研究生となる。在籍中にドニゼッティ作曲、オペラ“ビバ・ラ・マンマ”でオペラデビュー。以来、オペラ、ミュージカル等の舞台で活躍するかたわら、札幌交響楽団、大阪フィルハーモニー交響楽団、東京交響楽団のコンサート等にも出演している。
1986年のリサイタルで、作曲家、團伊玖磨氏の指導のもと、團伊玖磨〈歌曲〉作品の夕べを開く。この折に「ジャン・コクトーに依る八つの詩」(堀口大學 訳詞)を歌いコクトーの世界に魅了されていくこととなる。
1990年のリサイタルでモノ・オペラ「声」をとりあげる。この時はジャン・カルロ・メノッティ台本、作曲のオペラ「電話」と併演という意欲的なプログラムであった。演出は平尾力哉氏、ピアノは小林万里子さん。
以後、毎年バリトンの村田健司氏が主催する研究会で研鑽を積んでいる。
(1993年制作のGES10269の解説書より)
秋山和慶(あきやま かずよし、1941年1月2日 - 2025年1月26日)
東京交響楽団、ヴァンクーヴァー交響楽団、九州交響楽団という3つのオケの桂冠指揮者、広島交響楽団の永久桂冠名誉指揮者、中部フィルハーモニー交響楽団芸術監督・首席指揮者、日本センチュリー交響楽団ミュージックアドバイザー、岡山フィルハーモニック管弦楽団ミュージックアドバイザー、オオサカ・シオン・ウインド・オーケストラ芸術顧問などを兼務しながら、同時に洗足学園音楽大学芸術監督・特別教授、京都市立芸術大学客員教授として後進の指導も行う、真に偉大な名指揮者でした。
秋山氏の凄いところは、演奏の難しい膨大な楽器編成による作品でも、難なく演奏できてしまうところです。複雑な楽譜であっても、その理解が深いことに加え、指揮法も完璧。言葉の通じない外国のオーケストラでも、指揮棒の動きだけですべてを伝えることができた、というエピソードがあるほどの物凄いテクニックの持ち主でした。
そのテクニックは恩師斉藤秀雄(1902~74)から授けられたものでした。14歳のとき桐朋学園オーケストラの演奏会を聴き、感激して楽屋に当時学生の小澤征爾氏を訪ねたところ、いきなり後の師匠の斉藤秀雄に「こいつ指揮やりたいそうです」と紹介され、なすがままに指揮者修業に入りました。
1964年、23歳で指揮者デビューし、翌年には東京交響楽団の音楽監督に就任。指揮者として日本で活動していたところ、1968年にトロント交響楽団の指揮者になっていた小澤征爾氏から招かれ、1年間、トロント交響楽団のアシスタントを務め、海外での活動が始まります。
1972年(31歳)にはカナダ西海岸のヴァンクーヴァー交響楽団の音楽監督となり13年間もその地位にありました。この間にヴァンクーヴァー交響楽団のアンサンブルは飛躍的に向上。退任後もヴァンクーヴァー交響楽団は秋山氏に桂冠指揮者の称号を与えて現在も年に数回指揮をとっていました。
東京交響楽団の指揮を優先してベルリン・フィルからの客演依頼を3度断った、というエピソードが物語る通り、地位や名誉を求めない方ですが、実力は間違いなく世界のトップクラスでした。レコードやCDの活動も派手ではありませんでしたが、半世紀を超える長い録音キャリアの中で100枚を優に超えるディスクを発表してきました。
(タワーレコード 商品本部 板倉重雄 2021年1月記/2025年4月改稿)