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インタビュー

orange pekoe

  かつてイギリスのバンド、ラーズは “Timeless Melody”という曲で〈メロディーはいつも僕を見つける〉って歌ったけど、orange pekoeを見つけたのも他ならぬ〈メロディー〉である。ナガシマトモコと藤本一馬の出会いに遡ろう。

「出会った時、(藤本の)メロディーを初めて聴いて、それが本当に自分の理想とピッタリやったから、〈このメロディーを世の中に出したい!〉っていう気持ちでずっとやってきたところがあって。そこからorange pekoeは始まったんですよね。聴いた時のメロディー自体の強さっていうかエネルギーをいちばん重要にしてる」(ナガシマ)。

「自分は学校の授業になればなんにもできなかったっていうタイプやったんですけど、昔から鼻歌で自分の中の理想のメロディーを作っていたんです。で、ビートルズ聴いた時にビビーン!!ときて、ずーっとメロディーばっかり追い掛けてR&Bとかもそれで好きになったし。メロディーに対してはどんどんどんどん敏感になっていって、そのなかでメロディーを形にしようと思って出会った楽器がギターやったから」(藤本)。

既に耳目の早いリスナーの間では、インディーからの数作、スマッシュ・ヒットを記録したメジャー・デビュー・シングル“Happy Valley”などでじわじわと注目度が高まっていた2人組、orange pekoeのファースト・アルバム『Organic Plastic Music』。ここにあるのは、ジャズを底辺に、ボサノヴァ、ブルース、ビートルズ、クラブ・ミュージックが形作るなだらかな流線形、ダイレクトなメッセージ(愛!)、そして、〈タイムレス・メロディー〉を持ったイイ曲。

「二人合わせてシンガー・ソングライター的な感覚がすごくあるんで、〈私は上手いのよ!〉っていうのを先に見せるよりかは、〈これってこんなイイ曲でしょ?〉ってスッと見せるというか。僕ら曲をなんの予備知識もなしに聴いてもらったところで、良いか悪いか言ってもらいたい部分があるんで」(藤本)。

「もちろんメッセージが込められて言葉が乗ってる以上は歌がいちばん前に出ているものにはしたいと思うんですけど、それがテクニカルな面でガッて出るっていうよりは、曲の中にきちんと自分がおるっていう。音楽の中に自分が包まれてる感じ。抽象的で難しいんですけど。そういう意識は自然とあるかもしれない」(ナガシマ)。

予備知識? エゴイズム? 音楽の素晴らしさを阻む恐れがあるものを僕は憎む。でも今度からは憎む代わりにorange pekoeのアルバムを差し出してみようかな。スティーヴィー・ワンダーを、エリス・レジーナを、4ヒーローを差し出すように。さあ、アルバムの詳しい話をしよう。『Organic Plastic Music』にはフェイドアウトのエンディングがほとんどない。勢いはそのままに、曲は最後まで、彼らの美意識によって完全にデザインされている。リズム・アプローチ、とくに低音のプログラミングには細心の注意が払われていて、パッと聴きでは、ほとんどが打ち込みで構成されているとは思えない仕上がりなのだ。

「いちばん意識したところはナマでやった時も、〈あ、これって昔の音じゃないな〉と思わせるような録り方にはしたいと思ったんです。昔の雰囲気のように見せても、完全に今の……例えば昔ではあり得ないような低音の出し方とか。そういうミックスが好きなんで。パッて聴いた時は曲のアレンジとかも古っぽいアレンジにはしてるんですけど、たぶん全体の質感とかミックスの雰囲気はわりと新しいんじゃないですかね?」(藤本)。

 藤本はメロディーをギターのコードから作らず、鼻歌で1から立ち上げるという。小さい頃から変わらず、頭の中から(空気中から?)フッて出てきたものをずっと信じてるのだ。メロディーが〈orange pekoe〉を見つけた時から、僕たちとのタイムレスな旅が始まった。

PROFILE
 2000年、大学の軽音楽部仲間であったナガシマトモコ(ヴォーカル)、藤本一馬(ギター)によって結成される。地元・大阪のライヴハウスを中心に活動を始め、2001年4月にインディーよりリリースされたミニ・アルバム『orangepekoe』でデビュー。その後、同年8月の“太陽のかけら”、2002年2月の“やわらかな夜”とシングルのリリースを重ねるごとに、ジャジーでピースフルなポップ・サウンドが新しもの好きのリスナーを中心に話題を集めていく。同年4月にはシングル“Happy Valley”でメジャー・デビューを果たし、その存在感をさらに大きくアピール。このたび、待望のファースト・フル・アルバム『Organic Plastic Music』(BMGファンハウス)がリリースされたばかり。

カテゴリ : インタビューファイル

掲載: 2002年05月30日 15:00

更新: 2003年03月03日 22:20

ソース: 『bounce』 232号(2002/5/25)

文/内田 暁男