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インタビュー

MURO

プロデュース・アルバム『Sweeeet Baaad A*s Encounter』を発表したMURO。あらゆる分野で幅広い音楽性を見せつけてきた彼が、今作は〈70年代ファンク〉をターゲット! つまりもっともMUROらしい作品なのだ!! 


渋谷のヒップホップのキング、MUROが率いるK.O.D.P.(KING OF DIGGIN' PRODUCTION)の面々が集まったこの『Sweeeet Baaad A*s Encounter』では、豪華なメンバーはもちろん、最初の曲、オーサカ=モノレールの中田亮をフィーチャーした“Spreading funk Virus”で、このアルバムを楽しむポイントがすぐにわかるようになっている。つまり、70年代ファンクの魅力をテクノロジーの時代である2000年代に、どのように蘇らせるかということだ。しかもそれは回顧主義ではなく、アップデートされてなくてはいけないだろう。その難しい試みにMUROは成功した(中田の英語のプロナウンスにももちろん注意)。これはいままでの作品でもさまざまなジャンルの曲のフレイヴァーをヒップホップに持ち込んだMUROにとっても、重要かつ難解な課題だったに違いない。なぜなら、失敗は許されないからだ。

愛すべき70年代カルチャーからの影響

「タイトルはマリオ・ヴァン・ピーブルズ出演の映画〈SWEET SWEETBACK'S BAAD ASSSSS SONG(邦題:スウィート・スウィートバック)〉、あのへんをちょっとひねったんですけど、再発されてカルチャー・ショックを受けたので。ストーリーとかはたいしたことないんですけど、なんか(映像の)色味だったりとかが凄いな、と」。

 70年代のいわゆるブラックスプロイテーションと呼ばれる映画にMUROは情熱を注いでいる。彼は70年代のブラック・カルチャー全体にも情熱を注いでいる。彼のその分野でのコレクションには素晴らしいものがある。

「イラスト的にはタッチだとか、ま、いまじゃ結構、誰でも(その再現を)やってますけどね。いつ見ても懐かしいんだけど、新しさを感じるというか」。

 彼は実際に70年代をリアルタイムで体験したわけではない。

「僕、70年代生まれなんですが、基本的にはないですね。家がガソリンスタンドをやっていて、通り挟んで、そこに東映の映画館があって、その映画館がタダ券くれるんですよ。そこは東映の千葉真一ものとかを3本立てでやっているようなところでした。それを観たりとか、そういったところでもああいう画のタッチはあって、そのへんの記憶なのかな? 懐かしさを感じるのは。映画の意味がわからなくても音楽とかは聞いているわけだし、洋もの和もの共通してカッコイイものはあるじゃないですか? だからDJ KRUSHと会ってヒップホップ始めたときも、普通にすぐに採り入れられたというか。なんか凄い好きでしたね。70年代の映画で好きなのは、千葉真一ものは本当に好きでした。最近ビデオも再発されたんで、またよりをかけて集めてます。ファッションもカッコイイですよね。いまじゃありえない配色や色だし。ブラックスプロイテーションでは〈SAVAGE!〉とかいまだに探してますね。なかなか見つからないんですよ。マイアミが舞台の映画も少ないし、雰囲気味わえるし。サウンドトラックもドン・ジュリアンとか(笑)、マイアミ・ファンクとかもたまりませんね。ダビングしたものは持ってるんですが(笑)」。

 K.O.D.P.でアルバムを作ろうという構想は昔からあったという。

「レーベル、Incredibleを立ち上げたときからあったんですけど、もうちょっと時期が経ってからと思っていて。で、DEV LARGEもEL DORADO立ち上げた頃で、じゃあ、K.O.D.P.、それにEL DORADOの色がもう少し出たときに、なんかいっしょにやろうっていうDEV LARGEとの企みでもあったんです」。

 EL DORADOについて彼はこう語る。

「LUNCH(TIME SPEAX)とかにしてもFLICKとかにしても、やっぱりDEV LARGEが上にいて、そういう雰囲気が伺われる、DEV LARGEの色が強いレーベルだと思います。(K.O.D.P.との)共通点はあると思います。LUNCHにしてもFLICKにしても掘り続けている姿勢があるし、レコード屋さんで会うアーティストっていうか、好きなんだなって」。

 そうして掘り続けている70年代ファンクの魅力とはなんなのだろうか?

「脂ぎっているところでしょうかね? 土っぽいところだったりとか、男臭かったり。DJとしては、最初は深いファンクをプレイするのが、知らないお客さんもいるから怖かった。ZOOでプレイするのはよくても、その次の六本木のドゥルッピー・ドゥルワーズでプレイするのは怖かったから。だから、ディスコ寄りのダズ・バンドとかとは違ったチャレンジを六本木でしてましたね。あと、イギリスのレア・グルーヴのブームは大きかったと思います。コンピレーションとかも一気に出たし、ソウルIIソウルの影響は大きかったですね。ジャジーBはデカかった。個人的にも大きかった。70年代ファンクで初心者にお勧めは、やっぱりJB'sですね。その後、ファットバック・バンドとかアース・ウィンド&ファイアの初期の作品など。今回のアルバム『Sweeeet Baaad A*s Encounter』に参加しているのはみんなファンク好きですよ。それがメンバーを選ぶ基準だったかもしれないです。ファンクネスを感じさせるラップ。そういうMC。ファンクなヒップホップって少ないし」。

 そうしたファンクネスを感じさせるメンバーはどうやって選ばれたんだろうか?

「一晩で3曲ぐらいは出来るようになっちゃって、あらかじめビートは貯めておいた。アルバムに収録したのは、(貯めた曲の)3分の1ぐらいなんですかね。いっぱいあるトラックから、聴いて選びたいっていうMCもいたし、〈こういう感じにやりたい〉とか、そういう話もあったり。ビートの選択には時間がありました。ヴォーカルは1か月半ぐらいでやったんですけど、ライムはそれぞれ個人に任せて。前作のアルバム『PAN RHYTHM:Flight No.11154』がカッチリしたコンセプト・アルバムだったので、今回はラフなセッション的な感じを出したかったんですよ。自由にやってもらえればなっていう。でも、いざ並べてみると、良い意味でコンセプトっぽい感じにも聞こえる。タイトに聞こえるなというのはありますね。良い並びが出来たと思います。最近のヒップホップのアルバムで、最後まで通して聴けるのはなかなかなくて、上手くいったなっていうのはあります」。

彼のファンクネスに応えたメンバーたち

 では、そのメンバーを紹介してもらおう。

「オーサカ=モノレールはBOOの紹介でした。当時はJBのコピー・バンドをやってたんですけど、初めて観て結構やられちゃいましたね。イントロなどではいままでもフィーチャーされているんだけど、これまで温めていたアーティストのひとりなんです」。

 DJ SHIMONE、TSU-CHIN、ZOEMANについては?

「この3人は本当に“Vinyl Drifter”ですね。なかでも最初に7インチを掘り始めたのはTSU-CHINで。町田に住んでいて、有名なブレイクの7インチを地元で¥1,000で買ったとか。ZOEMANも町田ですね。知り合ったのはSHIMONEが最初で、彼に紹介してもらった。最初のレコーディングだったんですけど、持ってきたビートが全部〈Unknown〉のやつで」。

 BIGZAMには昔から注目していたとのこと。

「キャラクターを見つけちゃった感じがありますよね。3、4年前かな? 最初に会ったのは宇田川町。デカイな~と。このキャラクターを出さなければもったいないと当時思った。そのうちにリリックを書き始めたっていうのは聞いていたんです。それからNITRO(MICROPHONE UNDERGROUND)を結成し、いまに至る。今回のレコーディングでの彼の成長ぶりにはびっくりしました」。

 FLICKのKASHI DA HANDSOMEは外せないという。

「凄い注目してますね。本当に作品だけじゃ、彼の味が100%わかるものは少ない。本当におもしろいヤツですよ。GORIKIは〈SHIMONE繋がり〉で。あいつは男気持ってる。好きですね。JOE-CHOとかGORIKIに関しては、これからもっとキャラクターが立ってくるはずだから注目してほしいですね」。

 では、最後にDEV LARGEについて。

「やはりというか、共通点が多い。この曲(“CHECKMATES”)に関しては、2人で基本に戻していこうっていう内容です」。
 まさに〈Checkmate〉。甘味なる、バッドな奴らとの出会いにこのアルバムは仕上がった。

上から、99年のミニ・アルバム『K.M.W.』、2000年のファースト・フル・アルバム『PAN RHYTHM:Flight No.11154』(共にトイズファクトリー)

カテゴリ : インタビューファイル

掲載: 2002年06月27日 15:00

更新: 2003年02月13日 12:30

ソース: 『bounce』 233号(2002/6/25)

文/荏開津広