インタビュー

Wyclef Jean

前作『The Ecleftic』でエクレクティックな音楽性を披露し、ヒップホップ・アーティストとしてではなく、純粋に音楽家としての地位を確立したワイクリフ・ジョン。彼が新作『Masquerade』で回帰した場所はどこだろう!?


 ライヴ・アルバム、来日コンサートと活動を再開したローリン・ヒルと時を同じくして、フージーズの同朋ワイクリフ・ジョンもニュー・アルバム『Masquerade』を完成させた。

「アルバム・タイトルのマスカレード(仮面舞踏会)は、仮面を脱いで物事の本質に立ち返ろうってことを言ってるんだ。どれだけ金儲けをして、どれだけダイヤモンドを手に入れて、どれだけ慈善事業に貢献したかは知らないが、そういうバカげた仮面はそろそろ脱いでもいい頃じゃないかって思うから。原点に立ち返ろうぜってことさ。つまり〈リアリティー・チェック〉ってやつだよね」。

 すべてがマネー、マネー、マネーで回るヒップホップ界の現状に疑問を投げかけるワイクリフ。この3作目にあたるソロ・アルバムでは、メッセージ性のみならず、サウンド面においても原点回帰を果たしている。

「過去の2枚のソロ・アルバムから比べると、かなりふんだんにヒップホップのビートが入ってる。それも俺が音楽界にデビューした94、95年ぐらいのオリジナル・ヒップホップって感じのノリなんだ。参加してくれた奴らもほとんどがゲットーの出身者だし、そう、このアルバムは〈ゲットー・オールスターズ〉によるアルバムって呼んでもいいかもな。ジャ・ルールとかジェイ・ZとかDMXとか、そういうハヤリの人気ラッパーたちは参加してないよ(笑)。そういう類のアルバムではないんだ。つまり、チャートに入ることだけを目標にした作品とは違っている。その代わり、このアルバムにはゲットーに住んでいるキッズたちがいっぱい参加しているし、これを機会に彼らがチャンスを掴んでくれたらなぁ、って思うんだ。現在の俺がこうしてあるのも、駆け出しの時代に支えてくれたゲットーの奴らがいてくれたからこそ。俺はそういう奴らのことをいまでも忘れてないぜ、いまでもいっしょだぜ、ってことを伝えたかった。そいつらのための作品を作りたかったんだ。このアルバムは俺がフージーズをやってたナッピー・へッズの時代から支えてくれた連中に捧げられているんだ」。

 ハイチ生まれ、NYはブルックリン育ちのワイクリフ。“PJ's”というトラックでは、ゲットーのプロジェクト(低所得者団地)で過ごした自分の少年時代を振り返りながら、現在ゲットーに住むキッズたちに励ましのメッセージを送っている。

「みんなワイクリフ・ジョンって名前は知ってはいても、俺がどんな環境で育ったかなんてこと知らなかったりするだろ? だからみんなに再認識してほしかった、俺だってプロジェクトの出身者なんだぜ、ってことを。プロジェクトっていうと、誰もがステレオタイプを思い描いて、銃と殺人とドラッグばかりを想像する。確かにそれも現実かもしれないが、そこを抜け出した俺みたいな奴だっているわけで、すべてがすべてネガティヴなことばかりじゃないって思うわけさ。その気さえあれば、そこから抜け出せるってことをキッズたちに伝えたいんだ」。

 こんなふうに今回ワイクリフが自分のルーツを見つめ直すこととなったのは、どうやら去年の9月に突然訪れた父親の死がきっかけらしい。その父親に捧げられたバラード“Daddy”は、あまりにも痛々しく、聴くたびに胸が締め付けられる。

「そもそもこのアルバムを作ろうと思い立ったのも、父親の死があったからなんだ。それまではほかのアーティストのプロデュースとかいろいろやっていたけれど、自分のアルバムを作るまでの強烈なインスピレーションは得られないでいた。ところが父親が他界したのをきっかけにスタジオに入ってみたら、あっという間に全曲が書き上がって、レコーディングだってたったの2か月半で終わってしまったよ」。

 というわけで、かなりエモーショナルな作業だったのだろう。ボブ・ディランの“Knockin' On Heaven's Door”をカヴァーしたり、トム・ジョーンズやMOPを客演に迎えたり、相変わらずトピックも満載のアルバムではあるけれど、ピシッと一本筋が通っていて集中力を感じさせるのはそのせいなのだろうか。ワイクリフの多才さはもちろんのこと、その〈人となりに触れた〉と感じさせてくれるアルバムだ。

カテゴリ : インタビューファイル

掲載: 2002年07月11日 11:00

更新: 2003年02月12日 14:02

ソース: 『bounce』 233号(2002/6/25)

文/村上ひさし