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Lui

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ザ・ヘアー~東京スカパラダイスオーケストラ……と、彼はいつだって歌に(尋常ではない)魂を込めてきた。もちろん、しばしの期間を経てこのたび届けら譴2枚のソロ作品でも。彼を歌へと導くものとはいったい?


――音楽と最初に出会ったのはいつですか?

「僕の父が杉村篤というイラストレーターで、筒井康隆さんの本とか壁画とかボディー・ペインティングとかをしていたんですけど、家で“(I Can't Get No)Statisfaction”(ローリング・ストーンズ)が馬鹿デカい音でかかっていたりとか……僕が小学校2、3年のころとかはそういう状況で、あとチャーリー・ミンガスとかマイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーン、ビートルズ、ドアーズとか、60~70年代の音楽が家でかかっていましたね」。

道を歩きながら大声で歌ってた

 そうして音楽的に恵まれた環境に育った少年――Luiこと杉村ルイはしかし、環境だけではなく、みずからの感覚にも恵まれていた。周囲の人間がさだまさしやアリスといった音楽を聴いていたころ、小学生の彼はフランク・シナトラやニール・セダカなどを掘って聴いたり、スティーヴィー・ワンダーに手を伸ばすようになっていたのだ。

「大瀧詠一とかカシオペアを聴くようになると同時に、セックス・ピストルズとかシャム69とかエクスプロイテッド、デッド・ケネディーズとかにハマッてしまって……同時にアスワドとかUKレゲエも聴いてたし、ボブ・マーリー(ウェイラーズ)の“Burning”を聴いて……そこからかな? 黒人音楽もイカしているって思ったのは」。

「乱暴なんですけど、シャム69とか聴いているうちにザ・フー、キンクス、スモール・フェイセス、ゼム、ストーンズのファースト、セカンドあたりがかなりいいということに気がつきまして。ブライアン・ジョーンズのリズム・ギターとザ・フーの音楽の凄さ……パンクっぽさっていうのかな? それで僕は60年代にハマッたんですね」。

左から、Luiのファースト・アルバム『Where does a Bluebird fly?』、Luiと旧友たちによるコラボレーション・アルバム『Independence Day』(共にB BIRD)

――そのころから夜遊びしていたんですか?

「してましたね。当時のディスコとか行くとつまらないんですよ、ヒット曲ばっかりで。〈これは聴きたくないな〉と思って、UKの音楽を聴きに〈ツバキハウス〉行って……新宿の〈ローリング・ストーンズ〉とか行くと、俺の親父が描いた絵が飾ってあったりして」。

――そのころはもう、自分で歌を歌いたいと思っていたんですか?

「道を歩きながら大声で歌ってた。好きな曲の歌詞を調べて、大声で歌い歩くっていう」。

 そんな少年は、スキンヘッズのグループなどとハングアウトするようになり、スカと遭遇。ナンバーズというスクーター・チームがオーガナイズするモッズのパーティーにも通うようになる。

「横浜にライヴを観に行ったんですよ。そうしたら、(あい)さとうさんとマーク(林)なんかがバンド(ブライトン・ブルービーツ)をいっしょにやっていて、それがとんでもない音で演奏しているっていう状況で」。

 その後Luiは、日本でもっともクールなバンドのひとつ、ザ・ヘアーのヴォーカリストになる。それからの彼の歩みは〈歴史〉だ。

カテゴリ : インタビューファイル

掲載: 2002年08月01日 19:00

更新: 2003年02月10日 15:02

ソース: 『bounce』 234号(2002/7/25)

文/荏開津広

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