Dido
ポップ・ディーヴァがセカンド・アルバム『Life For Rent』で伝える、憂いを含んだ優しいメッセージ
デビュー・アルバム『No Angel』が全世界で1,200万枚のセールスを記録し、瞬く間にポップ・ディーヴァとしてその名を世界に知らしめたダイド。澄み切った美声、確実なソングライティング力。単なるラッキーガールで終わらなかったのは、もともと相応の才能を兼ね備えていたからだった。彼女の“Thank You”をエミネムが“Stan”に引用したことで、ダイドの歌声はアメリカ、祖国イギリスで花開くこととなる。それから4年。満を持して完成させたニュー・アルバム『Life For Rent』をリリースした。
「不安もプレッシャーもぜんぜんなかったし、レコード会社からの干渉もなかった。あったとしたら、自分が心から愛せる音楽を作らなくちゃ、ということだった。まずは良い歌に仕上がったかどうか、それを感じ取る本能をまだ持っているか確認することだったの」。
彼女がその感覚を取り戻すのに時間はかからなかったようだ。あえてコラボレーションといった形をとらず、フェイスレスの中心人物にして音楽プロデューサーである、兄・ロロとの共同作業で仕上げた濃厚な作品『Life For Rent』は、前作にも増して私小説的な趣を放っている。サウンド面でも、フォーク、ハウス、ヒップホップなど許容範囲も広がり、意外な一面を見ることができるが、やはり太い幹となるのは、彼女の声と歌詞の世界観だろう。
「『Life For Rent』は自分自身が望む人生を選ぶことを伝えているの。それは生きている、という感覚や、人々と交わっていくことよ。私はここ数年で、自分の環境を意識することや、だからこそもっと自由になるべきだということをたくさん学んできた。自分の人生は自分で選びたいという大きな感情を、歌で表現しようとすることは初めてだったし。そして生きているという実感や、怖がらずにやりたいことはやるという意思を、常に思い出させてくれるようにと、このタイトルを持ってきたのよ」。
父は出版者、母は詩人、兄は音楽プロデューサー。幼年期からピアノやヴァイオリン、ギターなどに慣れ親しみ、TVの代わりに父の書斎から引っ張り出した本を読み漁る。10代の頃は毎週ライヴハウスに通い、兄の部屋でポリスやクラッシュのレコードを聴く……どこにでもいる音楽少女。名門ギルドホール音楽大学に進学。兄のバンド、フェイスレスに参加、その後ソロ・デビュー。まさしく、やりたいことを貫き通してきたからこそ得た自信。〈成功〉が彼女を決して変えなかったのは、すでにアイデンティティーを確立していたからだと話す。
「いま19歳じゃなくてよかったわ。もしそうなら、いまごろはすごく混乱していたでしょうね。でも20代の終わりにこういう生活が始まって、いまは30代。大きな違いよ。誰だって自分の性格がわかっていたら、そんなに影響を受けることもないでしょ」。
実際、成功によって名誉や地位を得られたとしても、その代償に自由が奪われる。その体験で得た新たな感情が新作をより力強くさせていることは確かだ。先行でシングル・カットされた“White Flag”は、長年の恋人との別離が大きく影響していたことが言葉の端から窺える。
「“White Flag”は基本的にはラヴソング。誰かを本当に愛しても、相手の人生を壊してしまうかもしれないと、その気持ちを伝えられない。つまりとても悲しいラヴソングね」。
ほかにも“Mary's In India”や“See You When You're 40”など、普通の女の子が感じ、考え、悩み、そうした切なさを的確に描写した楽曲が多い。リスナーが自分自身を投影することも、彼女のストーリーにうなずくこともできるというわけ。このストーリーテラーぶりが、ダイドの魅力であり、人気の鍵を握っているのではないかと思う。そして憂いに満ちた歌声も……。
「最後に少しの希望や、前向きな気持ちが見えるような悲しい歌が好きなの。私自身、ハッピーで楽観的でリラックスした人間だけど、物事を非常に深く感じるタイプ。それが憂いを帯びているって言われる理由かしら? だったら、なくならないでしょうね!」。
ダイドの素顔はフットボール・チーム、アーセナルのサポーターで、休日は仲間たちとパブで過ごす典型的なノース・ロンドン・ガール。『Life For Rent』は、ミリオンセラーのポップ・ディーヴァの華やかなイメージではなく、なんでも相談できる女友達のような……心を許してしまう、穏やかな詞とサウンドで彩られている。
▼ダイドのアルバムおよび参加作品。
- 次の記事: 名サポート役、フェイスレス