インタビュー

自身の〈歌〉を手に入れたバンド・ギタリストたちによる、意欲的なソロ・アルバムあれこれ

 バンドのギタリストによるソロ活動が別段特殊なものでなくなって久しい。例えば、ローリング・ストーンズのライヴのソロ・コーナーがそのまま作品になったようなキース・リチャーズ『Talk Is Cheap』が発表された80年代末ごろまでは、〈ギタリストのアルバムは味がある〉なんて形容が中心で、言わば趣味性の強い課外活動でもあったわけだ。まあ、バッファロー・スプリングフィールド出身のニール・ヤングや、元BOO/WYの布袋寅泰などには、もはやバンド出身のギタリストというニュアンスはほとんどないが。

 だが、近年はギターもヴォーカルもドラムスもキーボードも、極端にいえばプロデューサーもエンジニアも横一線で、担当パートにさほど大きな違いがなくなってきたこともあり、〈サブ〉という意味合いは薄れてきた。元ブラーのグレアム・コクソンがリリースした一連のソロ作は、すべて彼一人で作り上げたプライヴェート作品集で、時のローファイ・ブームと共振するものだったし、まもなく新作も出るジョン・フルシャンテに至ってはレッチリでのプレイからはあまり想像できない感覚で、ヴィンセント・ギャロの最新作「ブラウン・バニー」のサントラのほとんどを手掛けるなど、創作意欲に富んだソロ作を発表するケースが目立つ。

 日本においても、山本精一(ボアダムズ、ROVOほか)が渾沌としたソロ作をリリースする一方で、昨年秋には羅針盤での作風をさらに拡張させたアコギ弾き語り作『なぞなぞ』を発表した。DSKことPort of Notesの小島大介は、バークレー音楽院出身という経歴に基づいたアカデミックな奏法と、ハード・ロックからの影響をも素直に混在させたギター・アルバム『Thinking About Freedom』をリリースし、グループでの活躍にも勝る存在感を放っている。また、クレイジーケンバンドの小野瀬雅生も、バンドではキース・リチャーズ的立場をキープしつつ、『Little High Big Now』で〈横山剣の右腕〉で終わらない頑固な側面を開花させた。

 そうした〈ギタリスト再考〉の風潮もあり、ジョージ・ハリスンや鈴木茂のような、かつては地味な存在を強いられていたアーティストの過去の名作にも、いまの時代ならではの新たな息吹が与えられるようになっている。

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掲載: 2004年02月26日 17:00

更新: 2004年03月18日 19:16

ソース: 『bounce』 251号(2004/2/25)

文/岡村 詩野

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