chie
「運命なんですよね。なにかを始めようとすると、知り合うのが必ずすごい人たちばかりなんですよ。それですごい場所に行くことになっちゃう。例えば、スキーをやるにしてもいきなり上級者コースに連れていかれたりして(笑)。滑らなきゃ帰れないじゃないですか。つまり、そういう話(笑)」と自分の歩んできた道を悲しげに(嘘です)語るのは、このたびブラジル録音を決行してファースト・フル・アルバム『Sabia』をリリースしたばかりのシンガー、chie。本作を制作するにあたって知り合うことになった〈すごい人〉とはプロデューサーのセルソ・フォンセカのこと。ジルベルト・ジルをはじめとするブラジルの大物ミュージシャンのプロデュースを務め、自身もソロ・アーティストとして作品を発表してきたセルソにいきなり雪山のてっぺんで〈さぁ滑ってみなよ〉と言われたら、いや違う違う、ブラジル音楽の本場で〈さぁ歌ってみて〉と言われちゃったらとにかく歌うしかないわな。
「地球の裏側で、しかも知らない人(現地のプレイヤー)たちばかりじゃないですか。私が緊張していたのがわかったのかな、セルソは私がやりやすいように気を配ってくれましたね。彼からは発音とリズムのディレクションがかなりあったんです。普通だったら、今のところ違うよ、ってやられたら気持ちが落ちますよね? でもセルソの場合は、言われれば言われるほど楽しくなっていくというか、君は絶対できる!っていうポジティヴ・エネルギーが伝ってくる。やっぱブラジル・パワーですね。肩の力を抜いて自然にやればいい、ってことを教わった」。
ずっとジャズを歌ってきたchieがブラジル音楽に傾倒していくきっかけとなったのは、小野リサのアルバム『ナナン』と出会ったこと、そして彼女のレパートリーであった〈イパネマの娘〉を全編ポルトガル語で歌ってみたこと。そのことによってさまざまな方向に道が開けていったという。とはいえ、例えば『Sabia』に収録されたジャヴァンのカヴァ-“Samurai”における抜群のスウィング感に、彼女が〈ジャズで育ったシンガー〉である片鱗を垣間見ることができる。
「でも、セルソはジャジーにならないようにやってるの?と思うぐらい、割とスクエアな作り方をしていったんですよ。だけど、出来上がりがそうじゃないところが不思議。こちらも自分の引き出しの中にある難しいフレーズとか使っちゃうでしょ、すると、そのテイクを使ってくれないんです。でも後で聴くと自然じゃなかったりして、あ~、そうか、と」。
唐突だがこのアルバムを聴いて、丈夫な歌だなぁ、と思った。声の芯が強いというか、なにごとがあっても振れない逸れない歌だと。もちろん彼女の自然な佇まいも今作には影響しているわけで、雪山のてっぺんで身に付けた〈肝っ玉〉は今回の経験でますますどっしりとしたものになったのではなかろうか。
「でも、実際は風が吹いたらパタンと倒れちゃうような人間なんですね。かつてジャズの師匠に〈センスだけじゃ駄目だ〉と言われたことがあって、多分私の弱さを見抜いてるんだろうなと思った。自分の中にちゃんとリズムを持っていれば、まわりがどんなリズムを出していてもスウィングできるんだ、って」。
そして、「もうひとつの目で自分を客観的に見つめること」を実践しつつ「芸(表現)を磨いている」と話す。ここで彼女にchieというシンガーを客観的に評価してもらった。
「う~ん、一生懸命に殻を破ろうとしている人だなと思う。怖がってて、嘘をついている自分の歌を何度も聴いてきたから。本当に聴くのが耐えられなかった」。
そんな彼女が今「(仕上がりを聴いて)なかなか上手に歌っているな、と思います」と微笑みながら話している。最後に彼女がめざす理想の表現について訊いてみた。
「とにかく無心になって歌うことができたら。緊張するといろいろコントロールしちゃう、すると絶対行きたい場所に辿り着かない。だから、目を閉じて後ろに倒れても絶対誰かがキャッチしてくれるんだって思ってこのアルバムを作った。だから、いさぎよく考えずにやることかな」。
PROFILE
chie
高校卒業後に演劇留学のために渡米し、7年間に渡る米国留学を経験。その後、都内のジャズ・クラブにてシンガーとしての活動を始める。中村善郎や岡部洋一らとのセッションで腕を磨きながら、2001年にはコモブチキイチロウ率いるユニット、Contrasteに参加。2002年には同ユニットのメンバーと共にミニ・アルバム『Vento』を発表。またContrasteでの活動のほか、ゴンザレス鈴木率いるSoul Bossa Trioにも参加、2003年の夏にはいくつかのジャズ・フェスティヴァルにも出演する。このたびセルソ・フォンセカをプロデューサーに迎え、ブラジル録音を決行したファースト・フル・アルバム『Sabia』(lepollen/ビデオアーツ)がリリースされたばかり。
カテゴリ : インタビューファイル
掲載: 2004年03月11日 12:00
更新: 2004年03月11日 18:53
ソース: 『bounce』 251号(2004/2/25)
文/桑原 シロー