Eamon
吐き捨てるように惜別を綴った“F**k It(I Don't Want You Back)”で、エイメンの歌に耳を奪われた。ドゥワップの唱法で哀愁のメロディーを歌い上げたこの曲は、16歳の彼が当時付き合っていた彼女の浮気を知って、勢いで書き上げたものだという。
「一気に書いて、夜中に両親を叩き起こして聴かせたのさ。ママはクレイジーだって言ったけど、パパは〈これはヒットするぞ〉って予見したんだよ」。
親子揃ってマトモじゃないが、実は父親もドゥワップ・グループで活動していたミュージシャンだそう。そして、「パパの仕事仲間や親戚が集まっては音楽を聴いたりしてたから、自然にその影響を受けた」というドゥワップやソウルの様式をヒップホップ世代のフィーリングでミックスしたところにエイメンの個性が立ち現れてきた。名付けて〈Ho-Wop〉。ドゥワップ+ヒップホップという括りだと、大御所イージー・モー・ビーの組んでいたラッピン・イズ・ファンダメンタルが〈Doo-Hop〉を標榜していたのも思い出されるが……。
「マジで!? 〈Doo-Hop〉なんて聞いたことなかったよ。イージーはそんなこと言ってたのか! 〈Ho-Wop〉ってのは、オレがドゥワップでクソ女(Ho)のことばかり歌ってるから〈Ho-Wop〉だ!って友達がふざけて、それがオレらの間で定着したんだ」。
知らなくて当然、このエイメンはまだ20歳なのだ。同郷スタッテンの英雄ウータン・クランですら「『Enter The Wu-Tang』が出たときは10歳だったよ」とのことだし。で、そんな若僧をバックアップしているのが、元オーディオ・トゥーのミルク・ディー(とファースト・プライオリティ軍団)だという点に、長年のヒップホップ・ファンにはグッとくるかも知れないが、エイメン君は当然オーディオ・トゥーの全盛期も知らない。
「ああ、3歳くらいだもんね。もちろん“Top Billin'”は知ってたけど。ミルクに会ったのはスタジオでリハーサルしてた時。オレの声を聴いて、絶対にイケるって信じてくれたんだ。自分で曲を書けとも教えてくれた」。
そうやって書きためられた曲を集大成したのが、ファースト・アルバム『I Don't Want You Back』だ。曲作りを始めた16歳の頃に書いたというドゥワップ・テイストの“I Want You So Bad”、件の“Top Billin'”をネタ使いした“My Baby's Lost”、NWA“I'd Rather Fuck With You”のカヴァーなどが、どことなくノスタルジックな空気感に包まれて違和感なく同居している。どう聴いても妙に新鮮な仕上がりながら、当人は「人と違ったことをやってやろうとか、みんなを驚かせようと思って、曲を作るんじゃない。自分の内から出てくるものを表現してるだけだよ」と淡々と語る。そんな〈内から出てくるもの〉の表出として印象的なのが、いささかダーティーな言葉遣いのリリックだ。オールド・ソウルなコブシで〈Suck My Dick~♪〉と歌ってしまうところにも彼のおもしろさがある。
「〈ダーティー〉って言っても、歌だからそう思うだけであって、ラップなんてもっと凄いこと言ってるよね? それがオレの普段使う言葉だし、自然にそうなっちゃうんだよ。スタッテン育ちなんだぜ!」。
さて、シングル、アルバム共に大きな成功を収めて、いまやウハウハ状態のエイメン。“F**k It(I Don't Want You Back)”のモデルになった〈彼女〉はこの歌を聴いてその成功をどう思っているんだろうね?
「もう彼女と話してないからね……。だけど、内容がどうであれ、彼女も喜んでると思うよ。おかげでオレもいくらか儲けられてるわけだし!」。
なんか無邪気ですが……まあいいや。ともかくエイメンにはどんどんドラマティックな体験を重ねていってほしい。彼の流した涙がその歌をメランコリックに磨き上げていくのだろうから。
PROFILE
エイメン
84年、NYはスタッテン・アイランド出身。イタリアンとアイリッシュのハーフで、ミュージシャンだった父親の影響もあって、幼い頃からドゥワップをはじめとするさまざまな音楽に親しむ。10歳の時に父親のバンドで初のステージを経験。一方ではヒップホップに親しみ、地元の仲間たちと活動を開始。やがて元オーディオ・トゥーのミルク・ディーに見出されて共同でデモ制作を始め、2003年にジャイヴと契約。同年末にデビュー・シングルの“F**k It(I Don't Want You Back)”をリリースし、全米シングル・セールス・チャートで1位を記録するヒットとなる。このたび、ファースト・アルバム『I Don't Want You Back』(Jive/BMGファンハウス)の日本盤がリリースされたばかり。