インタビュー

Whyte Seeds


PHOTO:RASMUG HÄGG

〈輝けるロックのゴールデン・エイジ〉──そう、ロックが音楽シーンのメインストリームであり続けた、あの60~70年代の凄まじい熱気と独特の空気がここにはある! スウェーデンの超新星ロックンロール・バンド、ホワイト・シーズのデビュー・アルバム『Memories Of Enemies』は、その空気を濃すぎるほどに含みながらもカビた臭いをまったく感じさせない、換気性バッチリの爽快な〈モダン・クラシック〉的傑作に仕上がっている。

「60~70年代には、本当にたくさんの素晴らしい音楽が作られた。だからその時代の影響を受けていなかったら、かえってマヌケだよ。俺らはみんな70年代生まれだから、自然にその時代の音楽をママから授乳されたんだ。ロックンロール・マザー・ミルク!!」(オーレ・バーグベリー:以下同)。

 ここまであっけらかんと、その影響について肯定されるとかえって気持ちがいい。もっとも彼らが非常にユニークなのは、〈ロック〉や〈70's〉を前提にしつつも、そこに拘泥されることなく、より広範囲な音楽性を内包しているところにある。

「ロックはブルース、カントリー、ソウルから発展したものだから、俺たちのサウンドにそういった要素が入っているのはそんなに変わったことではない。ロックのルーツを探求するのはおもしろいしね。だいたいさ、すべてのロックがレディオヘッドから始まったと思ってるとしたら、ちょっと大変なことだぜ」。

 それはもちろんそうなのだけれど、彼らが凄いのはまさにその音楽的ルーツの幅広さ、というかムチャクチャさである。

「俺は古いパンクとパブ・ロックが好きで、アクセル(・ロバック)は古いリズム&ブルースとソウルが好き。ニコ(・ジャンコ)はクラシック・ヘヴィーメタルを愛してるし、ビヨルン(・リネビー)は俺たちのブルース・ギター・ヒーロー(でもアウトキャストとエールが好き)。ハンク(・リンディーン)に至っては純粋なカントリー・マニアだしね」。

 こうした各メンバーの(違いすぎる)嗜好が渾然一体となって、ハードでサイケでグラムで万華鏡のようにカラフルな、あの黄金時代の香りをリアルに蘇らせることに成功している。同郷のハイヴスやマンドゥ・ディアオが、ひたすらストイックにプリミティヴなガレージ道を邁進することでオールド・ロックを蘇生させたのとは、アプローチの仕方が決定的に異なっている。そんなホワイト・シーズの異端ぶりがもっとも発揮されているのが、アップテンポなロックンロール・ナンバーが並ぶなかで、ひときわ妖しく幻想的な輝きを放つスロウ・ナンバー“Memories Of Enemies”である。

「これって実は、俺が初めて作った曲なんだよ。この曲のクールで妖しいフィーリングは、アルバム全体の基準になっていると思う。だからアルバム・タイトルに選んだのさ」。

 淡いサイケデリアの向こうに深い叙情を感じさせるこの曲は、まるでシド・バレットが憑依したかのように美しく、ロックンロール一辺倒ではない彼らの深淵ぶりをまざまざと見せつけてくれる。この一曲が示すように、ホワイト・シーズのサウンドは、熱いエナジーを放出しながらもどこか醒めた、クールな視点を感じさせずにはいられない、という意見に対しても、「実際のところ、それは正しいと思うよ」と、はっきり認めていた。みずからのルーツ・ミュージックに愛情と敬意を思いっきり表明しながらも、ある程度の距離を置いて、なかば確信犯的に〈黄金時代サウンド〉を再構築していくアプローチは、ミクスチャーやメロディック・パンクが隆盛している現在のロック・シーンだからこそ有効なのかもしれない。

「俺たちはMTVを観ないようにしてるんだ。ママにTVを観すぎるとバカになるし、目が悪くなる、って言われたから(笑)。ママは正しかったね」。

PROFILE

ホワイト・シーズ
2001年、スウェーデンのゴーセンバーグで結成。アクセル・ロバック(ヴォーカル)、ビヨルン・リネビー(ギター)、ハンク・リンディーン(ベース)、ニコ・ジャンコ(ドラムス)、オーレ・バーグベリー(キーボード)で構成される5人組のロックンロール・バンド。地元を中心に数多くのライヴをこなしながら、2002年にはデビューEP『Lost My Love』とファースト・アルバム『Momories Of Enemies』(Stockholm/ユニバーサル)を相次いでリリース。2003年にはアメリカやヨーロッパでツアーを行い成功を収める。その後さらに活動範囲を拡げ、世界各国でファースト・アルバムがライセンス・リリースされていく。このたびその日本盤がリリースされたばかり。

カテゴリ : インタビューファイル

掲載: 2004年05月20日 14:00

更新: 2004年05月20日 16:42

ソース: 『bounce』 253号(2004/4/25)

文/北爪 啓之