Donavon Frankenreiter
カリフォルニア、ラグナビーチで生まれ育ったドノヴァンは、若くして注目されるトップ・プロ・サーファーであった。一方、〈音楽〉も大好きな彼は、典型的なプロ・サーファーとは違う道を歩みはじめる。彼が求めたのは、通常のプロのように世界中を試合のために飛び回るのではなく、波を求めて世界中を旅しサーフ・ヴィデオを作ったり、その旅先で新しい音楽を探求したりする〈自由〉であった。そうやって世界中の文化に触れ、彼の現在の音楽スタイル、独特なヴォーカルでユニヴァーサルなサウンドを形成していくのである。昔はサン・チャイルドというバンドを組んでいた。ロックなバンドでカリフォルニアでは人気があった。あの〈Warped Tour〉にも出演したほどだ。しかしドノヴァンは言う。
「10年間やってたけど、なんかしっくりこなかった。ある日、一人で書いた曲をペトラ(彼の妻)に聴かせると、彼女は〈すごくいい!〉って言ってくれて、オレにソロ転身の勇気をくれたんだ」。
メジャー・デビュー作となるアルバム『Donavon Frankenreiter』に、彼はどうにも興奮を隠せない。
「やっと本物のアルバムをリリースできる。しかもユニバーサル傘下のブラッシュファイアだぜ! スタッフも最高。マリオ・カルダートやG・ラヴ、ジャック・ジョンソンが所属するレーベルの一員になれるなんて夢のようだ」と、いまのポジションにこのうえない満足を感じているが、陽の目を見るまでは、ただひたすら小さなクラブでのミニ・ライヴなど、地道な活動を続けていた。
ドノヴァンとジャックは少年時代からの親友である。ジャックももともとはプロ・サーファーであり、ドノヴァンとは一時期、いっしょにハワイに住んでいたりもしたそうだ。昼間はサーフ、夜はギターをいっしょにプレイした10代。2人はのちに別々の道を歩むが、ある日、音楽で大成功を収めたジャックがドノヴァンのソロを聴き、ブラッシュファイアと契約させた。
「オレの人生が変わった瞬間だ」。
今作のためにジャックたちと過ごしたハワイでのレコーディングを、ドノヴァンは「音楽人生のハイライトの一つ」と言う。
「ジャックにプロデュースを頼んだ。奴といっしょに演奏できると思ったからさ。ジャックはほとんどの曲で参加しているよ。ウクレレ、アコースティックやエレキ・ギター、ベースも弾いた。ドラムやキーボードも演っていた。歌も歌ってるんだぜ。それに〈G・ラヴを呼ぼう〉って、実際にハワイまでハーモニカを吹かせに呼んじゃったのもジャックなのさ(笑)。最初は1曲だけの予定だったのに、結局2曲に参加してもらったんだ」。
スタジオはオアフ島の北に位置する〈マンゴ・トゥリー・スタジオ〉。ジャックのプライヴェート・スタジオで、典型的な都市型スタジオとはチトわけが違う。クラブハウス風のその建物の裏庭は世界最高峰の波が割れるビーチに通じている。
「〈マンゴ・トゥリー〉ってまさにオレの夢のスタジオ! パーフェクト!! だって、ノース・ショアだぜ。すごくプライヴェートな感じで時間がゆっくり流れる、隔離された天国って感じだな。ちょっと煮詰まっても数歩歩けば最高の波がそこにある。最高だよ!」。
ドノヴァンにとってパーフェクトな〈マンゴ・トゥリー・スタジオ〉。メロウな空気、ハワイの美しい自然、愛する家族や友人の存在、海、サーフィン──それらの要素が絡み合い、至福のヴァイブを形成する。そのすべてが彼らの想像力を一層高め、新たな音やアイデアをひらめかせたのだろう。なにか言い得ぬ有機的でピースフルなヴァイブをこのアルバムから感じ取ることができる。
「ハワイのノース・ショアで友達とレコーディング──いままでのオレの苦労がようやく形になりはじめているのを感じるよ。Enjoy The Music」。
PROFILE
ドノヴァン・フランケンレイター
72年、カリフォルニア生まれ。13歳にしてサーフィン・メーカーとスポンサー契約を結び、プロ・サーファーとして知名度を上げる。当時よりジミヘンやボブ・マーリーを愛聴していた彼は、15歳でギターを手にし、18歳のときに学友と共にバンドを結成、サーフィンと音楽活動を精力的に展開する。2003年にはジャック・ジョンソンが設立したレーベル、ブラッシュファイアと契約。同年に行われたジャックの来日公演のオープニング・アクトでの演奏が評判を呼び、都内CDショップを中心に過去の作品がソールドアウトを記録している。5月26日にはメジャー・デビュー・アルバムとなる『Donavon Frankenreiter』(Brushfire/Universal/ユニバーサル)の日本盤がリリースされる。
カテゴリ : インタビューファイル
掲載: 2004年05月27日 13:00
更新: 2004年05月27日 18:02
ソース: 『bounce』 254号(2004/5/25)
文/ランディ・ペニントン