川口大輔
多くの音楽ファンが川口大輔という名前を知ったのは、まずシンガーとしてではなく、CHEMISTRYや中島美嘉といったアーティストに楽曲を提供する〈作家〉としてであろう。多くのヒットを生み出してきたソングライターが、ファースト・アルバム『Sunshine After Monsoon』でソロ・アーティストとしてデビューを果たす。当然そこには、メガヒットを量産してきたことへの重圧があったことは想像に難くないのだが、彼は突然訪れた環境の変化について忌憚なく語りはじめる。
「例えば中島美嘉さんに提供した“STA-RS”でも、あんなにマニアックな曲がこんなにヒットするなんていうのがびっくりしたんです。もちろん中島さんの歌声があったからだと思うんですけれど、僕からすると自分の趣味に忠実なメロディーラインやコード進行だった。だからプレッシャーというよりは、なるほど、僕の音楽をちゃんと聴いてもらえる土壌があるんだな、っていうことはあって。みんなの反応をデビュー前に知れたことは良かったと思いますね」。
それまでは「メロディーを作ることにこそ自分のすべてがあった」とまで言い切る彼だけあって、今作には高揚感溢れる旋律がたっぷりと盛り込まれている。
「AORっぽい気持ち良い作品(アルバム)に本格的なブラジリアンではない曲が入っていたり。例えばバーシアのアルバムのような立ち位置をうっすらと考えていました。どんなアレンジにもできる楽曲に、最終的に〈あと2滴、南風を〉みたいな感じでブラジルのエッセンスを加えていったんです」。
今までに彼が提供してきた“WILL”や“Let's Get Together Now”のセルフ・カヴァーも加えられた全13曲には、彼の出自であるラテンやブラジリアン・ミュージックの要素がさまざまな形で散りばめられている。ディジュリドゥやタンボリン(ブラジルのサンバで使われる打楽器)などのオーガニックな音色。“10月4日のテーマ”でのタニア・マリア作品を思わせる力強く疾走感に溢れた超絶プレイ。とはいえ、今作を単なる〈オーガニックなブラジリアン・フレイヴァーとポップスの融合〉というキャッチだけでは、彼の音楽にある輝きを形容することは難しい。“Into the Sto-rm”にある80年代的なアトモスフィアなど、彼自身、制作中の発見も多かったようだ。メンタルな部分のサポートから、楽曲の方向性、歌詞に関してまで的確なアドヴァイスがあったというプロデューサー松尾“KC”潔のもとで制作された、シルクのような滑らかさを誇る甘美なトラックやパーカッシヴなプロダクションは、彼のソウル・マナーに忠実なシンガー・ソングライターとしての一面を浮き彫りにしている。
「やっぱりこの1、2年は、歌うことや歌う言葉をとおして、自分はなにを考えているんだろう?っていうことをすごく考える時期だったんです。そういう意味では、今作は集大成というよりは、いま言いたいことが言えたことがすごく良かったと思います。携帯で何の気なしに撮ったスナップみたいなものですね」。
コンクリートのジャングルと母なる大地の間を吹き抜けるような風通しの良さ。『Sunshine After Monsoon』は、多くの人々に口ずさまれる曲を生んできた彼が、シンガーとしての自覚を、皮膚感覚で深めていく過程で生まれた。
「決して海とか開けた場所で書いたわけではないし。でも落ち込んでいる気持ちから抜け出そうというとき、すごく簡単なこと……重い雲の向こうにある太陽とか、夜風にさえ救われることがある。だから僕は音楽を届けるというよりは、降り注がせる──雲の切れ間から差し込んでいる光のように聴いてもらいたいんです」。
強烈な夏の日差しを予感させるこの作品で、川口大輔はシーンに新たな旋風を巻き起こしてくれるに違いない。
PROFILE
川口大輔
75年、東京生まれ。ボサノヴァやサルサなどのバンドでピアニストとして腕を磨き、22歳の夏、本格的に作詞/作曲活動を開始。レコード会社に送ったデモテープがきっかけとなり、CHEMISTRYへ“君をさがしてた ~New Jersey United~”を提供。その後〈2002 FIFA ワールドカップ〉のテーマ曲“Let's Get Together Now”、中島美嘉の“STARS”“WILL”などの作曲を手掛け、徐々に話題に。2003年、松尾“KC”潔をプロデューサーに迎えてミニ・アルバム『BEFORE THE DAWN』をリリース。“Memory Lane”“Not Alone”“Sun Shower”の3枚のシングルを立て続けにリリースし、このたびファースト・フル・アルバム『Sunshine After Monsoon』(ソニー)がリリースされたばかり。