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インタビュー

The Dillinger Escape Plan


 2001年に行われた初来日ツアーを皮切りに、〈BEAST FEAST 2001〉〈FUJI ROCK FESTIVAL 2002〉そして、今年4月に行われた〈EXTREME THE DOJO SPECIAL〉と、アルバム1枚でなんと4回も来日を果たしてしまったラウド・ミュージック界が産んだ最大の異端児、ディリンジャー・エスケイプ・プラン(以下DEP) 。ファースト・アルバム『Calculating Infinity』のリリースが99年(日本リリースは2000年4月)だから、ニュー・アルバム『Miss Machine』は約5年ぶりの新作となるわけだ。ハードコア、ヘヴィメタル、パンク、ジャズ、フュージョン、プログレ、エレクトロニカ、テクノ……と、既存のありとあらゆる音楽を呑み込み、渾沌としたエナジーを爆音と共に放出する彼らのスタイルは、いまや〈カオティック・ハードコア〉と呼ばれ、エクストリームなシーンにおける新たな指標となった。当然、彼らが全世界に与えた影響は余りにも大きく、現在では世界各地でフォロワーが続出しているのだが、パイオニアである当の本人たちはまだまだ他の追随を許してはくれなさそうだ。

「5年前といまでは音楽をやる動機が少し違っている。本質的に俺たちは、ネガティヴな感情を取り除いたり、フラストレーションを処理しようとしている。普段の生活でいい人間でいるためには、暴力的で攻撃的なアートを作り出すことが必要だし、そのための道具として音楽を用いる面がある。例えば前作では留まることなく不満と攻撃性を吐き出したけど、今回の作品はもっと幅広く、全体がダイナミックになったと思う」(グレッグ・プチアート:以下同)。

 なるほど、確かに……。一見、普通のルックスからは全く想像できない究極のスピードとアグレッションを、強烈なインパクトと共に寸分の狂いも許さず恐ろしくテクニカルにまとめ上げるこれまでのDEPのサウンドは、冷酷なまでに機械的かつ無機質で、ある意味人間的な部分を意図的に排除しているかのようでもあった。だが、2002年にグレッグが新たにヴォーカリストとして加入したことによって、DEPはそのサウンドに人間的な感情を封じ込めることに見事成功した。

「いままで、テクニカル面とかにはほとんど手を付けてきたけど、今回は自分たちの音楽の緊張感を損なわずに、メロディーを織り交ぜることに焦点を当ててみたかったんだ。たいがいのバンドは、目立つためとか、もっと売れるためにメロディーを付け加えているけど、そんなことは俺たちにとってどうでもいい。強烈なメロディーってのは音楽のなかでいちばん重要な手段のひとつで、みんな一生忘れないものだとわかってるからね」。

 どうだ、この自信みなぎる発言は!? 異端児はあくまでも異端児のまま、ということか。だが、それゆえに眩いばかりの輝きを放つ彼らのサウンドは、もはや完全に唯一無比となった。強烈なインパクトと強烈なメロディーの融合。それこそが、ロックの初期衝動にもっとも必要不可欠なものだといえるだろう。

「バンドってのは、同じスタイルでやり続けるタイプと、アルバムごとに違うことをやっていろんな側面を垣間見せるタイプの2種類があると思う。DEPは、これまで5人が受けてきた影響をすべて表していきたいと思ってる。いま振り返ってみて、もし『Calculating Infinity』の〈パート2〉を作ってたら、それなりの数のファンを喜ばせることはできたと思う。けど、自分たち自身は不満が残っただろうね。5年前と同じアルバムを作っても意味はないよ。常に進化、成長していきたいんだ」。

PROFILE

ディリンジャー・エスケイプ・プラン
97年、ニュージャージーで結成。幾多のメンバー・チェンジを経て、グレッグ・プチアート(ヴォーカル)、ベンジャミン・ワインマン(ギター)、ブライアン・ベノイト(ギター)、リアム・ウィルソン(ベース)、クリス・ペニー(ドラムス)の5人組となる。98年、ミニ・アルバム『Under The Running Board』でデビューを果たし、99年にはファースト・アルバム『Calculating Infinity』をリリースする。ハードコアに留まらない複雑な音楽性が話題を呼び、世界中の重要フェスティヴァルに軒並み出演、バンドの知名度を急速に高める。サントラ『Underworld』への楽曲提供などを経て、このたびニュー・アルバム『Miss Machine』(Relapse/RITUAL/HOWLING BULL)がリリースされたばかり。

カテゴリ : インタビューファイル

掲載: 2004年08月05日 14:00

更新: 2004年08月05日 20:35

ソース: 『bounce』 256号(2004/7/25)

文/菅原 亮