インタビュー

RAY LAMONTAGNE


 時間は午前4時。目覚まし代わりにセットしたラジオからふと流れてきたスティーヴン・スティルスの“Tree Top Flyer”。その一瞬だけで人生が変わることもあるのだ。男はその日、いつもの製靴工場への出勤をやめ、代わりにレコード店に行って件の曲が収録されたアルバム『Stills Alone』を手に。そして、シンガーになることを決意する。こうして言葉にしてしまうと、あまりにも出来過ぎた、ドラマティックなエピソードに思えるけれど、しかし、それでもその数年後、僕らは『Trouble』というタイトルの最高にソウルフルなアルバムに巡り会うことになるのだから、まだまだ世界は捨てたものじゃない。神様がいようがいまいが、小さな偶然が甘い果実を落とすことだってあるのだ。もちろん、それは100万分の1くらいの確率かもしれないけれど。

「なぜその歌にそれほど衝撃を受けたのか、その理由は自分でもわからない。だけど、とにかくそれ以来、私は音楽に夢中になったんだ」。

 レイ・ラモンターニュ──ニューハンプシャーに生まれ、母親に連れられるままユタやメインを転々とし(プロフィールによれば、その住処となったのは、母親の友人宅の裏庭、車やテントの中、テネシーの牧場、ニューハンプシャーの養鶏場までが含まれている)、当然のごとく学校ではノケ者扱いだったというこの男の人生を俯瞰してみると、まさに、このデビュー・アルバムのタイトルどおり〈トラブル〉がつきものだったことが窺える。そして、先述のエピソードにある午前4時に起床する生活は、また、平々凡々というわけにはいかなかったその日々の営みの様子も伝えてくれる。

「音楽には常に関心を持っていたけれど、それはあくまでも趣味としてで、ほかのことに比べたら二の次だった。たとえば絵を描いたりすることみたいにね」と言うレイだが、その日を境に彼の生活は一変する。クロスビー・スティルス&ナッシュ、ボブ・ディラン、ジョニ・ミッチェル、ニール・ヤングなどを次々と〈発見〉しながら、彼らの歌声やソングライティングを注意深くトレースしていくことで、なんとか歌うことを修得しようとひとり格闘する毎日。その様子はきっと、〈憑依された〉というような形容さえ相応しいものだったのだろう。音楽は時としてそういう力を発揮する。

「初めてのレコーディングは、ひとりでギターとハーモニカを使いながらのとてもシンプルなものだった」らしい10曲入りのデモテープ。それが初めてのステージ・パフォーマンスへの呼び水となり、また、ひいては熱狂的なファンの手を経由してクリサリスと音楽出版契約を結ぶことに。そして、最初のデモ・セッションから5年後、この鳴り物入りのデビューへと通じていくことになる。プロデューサーはライアン・アダムスやキングス・オブ・レオン、ジェイホークスなどを手掛けてきたイーサン・ジョーンズ。レコーディングはLAの名門、サンセット・スタジオ。と、トントン拍子にお膳立てされたように思われる向きもあるだろうが、アルバム『Trouble』にある潤いのあるプロダクションと、ヴァン・モリソンを思わせるレイの祈るような歌声を前にすれば、そうした穿った見方は消し飛んでしまうはずだ。それは「歌うことに関しては、ずいぶん満足できるようになったとは思うけれど、やっぱり納得いかないときが多いよ」という、彼の実直なコメントにも表れているだろうし、すがるように転生を果たしてからの、その静かな揺るぎのなさ──〈努力〉なんて言葉では物足りない──に裏付けられるだろう。

 午前4時、どこかのラジオからレイ・ラモンターニュの歌声が流れてくる。その時、また誰かの人生が変わっていくのを想像するのは難しいことではない。それだけの力を、彼の歌声は持っているのだから。

PROFILE

レイ・ラモンターニュ
73年、ニューハンプシャー生まれ。生後間もなく両親が離婚、アメリカ各地を転々として音楽とは無縁の幼少期を過ごす。高校卒業後にルイストンへと移住、ラジオでプレイされていたスティーヴン・スティルスの曲を聴いたことがきっかけで音楽に開眼、仕事を辞めて独学で音楽を学び始める。その後、地元でのライヴ活動をスタートさせ、その場に居合わせた人物を仲介にしてクリサリスと音楽出版契約を結ぶ。今年に入ってレコーディングを開始、同時に彼の評判を聞きつけたレーベル数社が名乗りを上げ、争奪戦の末にRCAと契約を果たす。このたび、本国では9月に発表されたデビュー・アルバム『Trouble』(RCA/BMGファンハウス)の日本盤がリリースされたばかり。

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掲載: 2004年12月16日 16:00

更新: 2004年12月16日 17:33

ソース: 『bounce』 260号(2004/11/25)

文/福田教雄