インタビュー

銀杏BOYZ


 2003年1月15日。GOING STEADY、突然の解散宣言。と同時に、フロントマンであった峯田和伸は、新たな活動の場として銀杏BOYZの活動開始を宣言した。

「最初は、ホントに僕ひとりで銀杏BOYZをやる予定だったんですよ。具体的なヴィジョンはなかったんですけど、とりあえずひとりでやろう、みたいな。そのうち、やっぱりバンドでやりたくなって、2人(GOING STEADYのメンバーだった安孫子真哉、村井守)を誘ったんですよ。友達もいなかったし、一からメンバー探すのも面倒くさかったし。でも、〈気持ちはうれしいけど、解散したばかりだからバンドのことは考えられない〉って言われて……」(峯田)。

「音楽のこととかバンドのこととか考えられなかったですね、ホントに。バンドやるにしても、このメンバーでやるのは絶対イヤだと思ってたし、いっしょにやるのがイヤで解散したんで。でも、時間が経ってみると、やりたいのかなあ、やりたいかも、やらせてください!みたいな気持ちになって」(村井)。

 そしてギターのチン中村を加え、晴れてバンドのカタチに収まった銀杏BOYZ。考えてみれば、ギタリストが交代したGOING STEADY、ということになるわけですが……。

「GOING STEADYをやってても、解散しても、たぶん作ってる曲はいっしょだと思うんですよ。同じ感じだとは思うんですけど、彼(中村)の加入は大きいですよ」(峯田)。

「峯田も、チンくんのギターだったらこういうのがいいんじゃねえかっていうのを、緻密に計算したうえで曲を持ってきてる感じはありますね」(村井)。

 新しい血を加えて、GOING STEADYにはなかったサムシングを注入した銀杏BOYZは、精力的なライヴ活動を展開していくなかで、さらなる逞しさを身につけていく。そして、彼らのあり余る精力は〈1枚のアルバム〉という枠を思いっきりハミ出し、『君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命』『DOOR』という2枚のアルバムにその成果を封じ込めた。

「思ってることや考えてることは全部出そうって。そしたらこうなっちゃった」(峯田)。

 アルバム2枚を合わせて、全29曲。GOING STEADY時代からの名曲“銀河鉄道 の夜”“若者たち”の新録をはじめ、彼らのオハコでもある性春ソングの真骨頂“SKOOL KILL”“トラッシュ”、ポップな側面を際立たせた“夢で逢えたら”、青島幸男顔負けの無責任ソング“メス豚”、正調ロックンロール“あの娘は綾波レイが好き”、フォーク歌手さながらの歌いっぷりを聴かせる“人間”……と、書ききれません。

「この曲のここが、っていうより、全部聴いたあとに、一所懸命聴いてもらったあとに、なんか残るものがあったりとか、なんかやりてえなあとか……なんでもいいんですけど、なんか残ればいいですね」(峯田)。

 GOING STEADYを含め、その音楽性を〈青春パンク〉と称されたバンドたちの現在は?となると、その多くが消費され尽くしてしまった感もあるのだが、彼ら、銀杏BOYZには余計な心配もいらなそうだ。

「大槻ケンジさんの本が〈青春小説〉とか言われるでしょ。そういうのもあるんだったら、僕らは〈青春パンク〉でいいやって。〈青春パンク〉ってイメージには〈エーッ!?〉ていうのもあるけど、大槻さんの本とか、みうらじゅんさんの漫画とか、感動するんですよね。男子が陰でやってるキタナイこととかまで文にしてて。そういうジャンルを〈青春〉と呼ぶのならば、銀杏BOYZはその代表でいいと思います。僕ね、ジャンル分けは必要だと思うんですよ。〈分けられたくないです〉とか言う人はね、馬鹿じゃないか?と思うんですよ。自分に対して自信がないのか?って。〈青春〉って言葉はどうかと思うし、自分らは自分たちのことをパンクだと思ってないんですけど、〈青春パンク〉っていうジャンルが存在してるんだったら、オレらは歓迎です。GOING STEADYのときよりも、自信のある〈青春パンク〉になってる気がするし」(峯田)。

PROFILE

銀杏BOYZ
GOING STEADY解散直後の2003年1月、峯田和伸(ヴォーカル/ギター)が一人で結成。その後、同バンドの村井守(ドラムス/コーラス)と安孫子真哉(ベース/コーラス)、新たにチン中村(ギター/コーラス)が加入。同年5月より、ライヴ活動と同時にアルバム制作に向けたスタジオワークを開始する。一方で峯田は、映画「アイデン&ティティ」で映画初主演。中村は他に2バンドでの活動も並行して継続中。安孫子は自身が主宰するレーベル=STIFFEENより、国内外の作品をコンスタントにリリースしている。2005年1月15日にファースト・アルバム『君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命』『DOOR』(共に初恋妄°C学園)が2枚同時リリースされる。

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掲載: 2005年01月13日 17:00

更新: 2005年01月20日 18:21

ソース: 『bounce』 261号(2004/12/25)

文/久保田 泰平