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インタビュー

John Legend


 彼の本格的な出陣を待つ舞台は劇的に、ほとんど瞬く間に準備を整えたと言っていい。USの音楽界がひとりのアーティストを迎える時に、ここまで盛り上がりを見せるのは近年では相当に珍しいかもしれない。ジョン・レジェンド。実際、彼のメジャー・デビュー・アルバム『Get Lifted』は大いなる期待をもって迎えられ、予想を遥かに上回るチャート・アクションを見せている。例えば、カニエ・ウェストだったり、アリシア・キーズだったり、ローリン・ヒルだったり。いままでに彼が制作に関わってきた人たちの名前を挙げてみるだけでも、彼の大器ぶりは十分伝わると思うが、ならばそうした顔合わせがどういう経緯で実り、カニエは彼のいったいどんな部分に惚れ込んでいるのかを探ってみたくなる。そんななか、またとないタイミングで彼自身の言葉を訊き出すチャンスに恵まれた。これは久々に興奮するインタヴューだ。

「出身はオハイオのスプリングフィールド。高校を卒業するまでそこにいて、大学はフィラデルフィア、卒業してからNYに来たんだ。子供の頃は教会一本さ。家族はみんな敬虔なクリスチャンで、祖父も父も牧師、母は聖歌隊のディレクター、祖母は教会でオルガンを弾いてて……つまり、俺の音楽的背景はゴスペルなんだよ」。

 というふうに出身を尋ねたら、そこから勢い発展して、彼みずから音楽的なバックボーンまで穏やかに語ってくれた。こと音楽について饒舌な彼は、その流れで自分の音楽観を決定付けた人物の名前を強い語気で挙げてくれた。

「いちばん大きな影響を受けたのはローリン・ヒルさ。彼女との馴れ初めは、俺が手伝っていた教会に来ていたタラっていうコが彼女と高校がいっしょで。それで引き合わせてくれたんだ。スタジオに行って彼女の前でピアノの弾き語りをしたら気に入ってくれてね。その時彼女がやってた曲で歌ってほしいと言われて、『The Miseducation Of Lauryn Hill』に参加することになったんだ」。

 これを経て、彼はジョン・スティーヴンス名義で活動を始め、インディーで『John Stephens』、そしてライヴ・アルバム『Live At SOB's』をリリースしているのだが、その頃の活動についてはカニエとの出会いも含めてこのように語っている。

「俺にはアンダーグラウンド・シーンでずっとサポートしてきてくれたファンがいてね。彼らの存在は掛け替えがないんだ。その頃にはソウルとヒップホップのブレンドという音楽的なスタイルはすでに出来上がっていて、そこにゴスペルの感覚が加わった感じかな。『Live At SOB's』ではカニエが曲作りで参加してくれてるんだけど、彼は、俺と同じ大学に通ってたディーヴォっていう友人(註:ジョンのアルバムでも3曲をプロデュースしている人物)の従兄弟で、その彼に紹介してもらったんだ。カニエがNYに引っ越してきた2001年頃かな。当時はカニエも自分のデモを作ってる時で、俺はフックを歌ったりしたんだけど、結果、それが『The College Dropout』になったんだよ」。

 で、彼のカニエ評が続く。

「カニエは俺がいままで培ってきた音楽性みたいなものをとても信頼してくれてる。楽譜を読んだりとか、音楽理論とか、彼にできないことを俺が提供して、補い合ってるって感じなんだ」。

 実はこの後も彼の饒舌ぶりは変化なく、興味深い話は続くが、残念ながら誌面の制約もあって彼の発言はここまでしか掲載できない。ローリンの心も、カニエの心も動かしたジョン・レジェンド。その音楽家としての先鋭的なセンスと絶対的な手腕は、アルバムにおいて見事なまでにディスプレイされている。何はさておき、今月はこの『Get Lifted』を聴くべきだろう。

PROFILE

ジョン・レジェンド
オハイオ州スプリングフィールド出身のシンガー・ソングライター。幼少の頃から歌とピアノに親しみ、8歳で聖歌隊の演奏に加わる。大学進学のためフィラデルフィアに移った98年、ローリン・ヒルの『The Miseducation Of Lauryn Hill』に参加。その後は地元やNYを中心にライヴ活動を続け、数枚の自主アルバムを本名のジョン・スティーヴンス名義でリリース。並行してアリシア・キーズ“You Don't Know My Name”やトゥイスタ“Slow Jamz”などカニエ・ウェスト制作のヒット曲でソングライティング/演奏を手掛けて脚光を浴びる。2004年末に登場したメジャー・デビュー・アルバム『Get Lifted』(Getting Out Our Dreams/Columbia/ソニー)の日本盤がリリースされたばかり。

カテゴリ : インタビューファイル

掲載: 2005年03月10日 12:00

更新: 2005年03月10日 14:26

ソース: 『bounce』 262号(2005/2/25)

文/JAM