インタビュー

SLY MONGOOSE

鋭い牙を光らせて、煙の向こうからヤツらがふたたびやって来る! 下半身にドスンと響く雑食インストゥルメンタル・サウンドに、油断していたらヤラれちまうぞ!!


 2002年に忽然と姿を現し、レア・グルーヴにダブ、レゲエ、スカ、カリプソ、ラテンと、ルーディーなリズムに誘われるがまま国境を越えて南へ向かった4人組、SLY MONGOOSE。その旅の軌跡は2003年のファースト・アルバム『SLY MONGOOSE』や翌年のミニ・アルバム『DACASCOS』という形でレポートされ、ニヤニヤと口元に意地の悪い笑みを浮かべた謎の生物が、ダブ/レゲエの低音で足腰を鍛えながら牙を鋭く研いでいたことをあきらかにした。そして、そのマングース印のズルい奴らが、今度はネタンダーズの塚本功(ギター)とセッション・パーカッショニストの富村唯を正式メンバーに迎えた6人組として2006年にふたたび姿を現した。

「今回、6人が最初のデモの段階からファースト・インスピレーションで音が出せるようになって、個人個人のエゴや余計なものが取れてきた。ようやくひとつの生き物として動き出した感がありますよね」。

 そう語るのはリーダーの笹沼位吉(ベース:以下同)。DJでもあり、TOKYO No.1 SOUL SETやスチャダラパー、FORCE OF NATUREの作品/ライヴでプレイするベーシストでもある彼は、完成したばかりのセカンド・アルバムにして傑作となった『TIP OF THE TONGUE STATE』を「ほかでもない、バンドの結束力の賜物である」と語る。

 「僕がSLY MONGOOSE以前に在籍していたCOOL SPOONってバンドは、〈高田馬場のミーターズ〉って評してもらったりしてまして(笑)。あのバンドが注目されたのは、当時アシッド・ジャズ景気というものもあり、僕らみたいなバンドがホントに少なかった。だから、物珍しがられてたというところもおそらくあったと思います。僕自身、そのバンドでの失敗や後悔というのが多々ありまして、面倒臭いことを放棄してしまっていたというか。そんな反省を噛みしめながらやってるのが、SLY MONGOOSEですね(笑)。もともとこのバンドは、〈このメンバーで出来ることをやる〉というのが始まりで、みんな何でもそつなくこなすというようなタイプじゃないし、これしかできないっていう所で生きてきた非常に不器用な人たちの集まりなんです(笑)」。

 そんなトライ&エラーが繰り返された末に生まれた本作は、同時に笹沼のルーツにあるダブ/レゲエの帰結形ではなく、積極的な発展/(誤)解釈形でもある。トランペッターの外間正巳が吹くルーツ的な哀愁のある音色を残しながら、彼らの眼差しは真っ直ぐ前を向いている。

「レゲエ/ダブの影響は僕にとってかなり大きいですけど、〈過去の音源を練習してなぞりました〉的な音楽は僕らのやることじゃないというか、仮にそういうものをやろうとしてもそうはならないし、もっと上手にやっている人たちがいると思う。だから僕らの場合は〈ボトムはレゲエ〉みたいな、エッセンスとしてのレゲエですよね」。

 そのダビーな〈トビ〉は、70年代後期のフランソワ・ケヴォーキアンが12インチ・シングルのB面で繰り返していたダンス・ミュージックとダブの終わりなき実験の続きを引き継ぐように、試行錯誤を重ねる過程で原型を留めないほどに変形。近年注目されているイタロ・ディスコにも通じる、あまりに独自でユーモラスですらある作品に昇華されている。そんな人を喰ったようなセンスはアルバム中でも“模範囚”という曲タイトルに表れているが、ふざけているのか、勤勉なのか、どうにも判断しかねる紙一重なスタンスはSLY MONGOOSEそのものでもあるように思うのだが……。

「悪いことを働いたとしても、しょせんガムをかっぱらうとか、キセルするとか、その程度(笑)。よいタマの囚人にはなりきれない。ひたすら点数稼ぎに明け暮れる〈模倣囚〉が関の山」。
▼SLY MONGOOSEの作品を紹介。

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掲載: 2006年03月09日 20:00

ソース: 『bounce』 273号(2006/2/25)

文/小野田 雄