Pretty Ricky
地元のラジオで“Grind With Me”がプレイされたことに始まり、同曲は瞬く間に全米で大ヒット。ファースト・アルバム『Bluestars』が100万枚以上のセールスを記録したプリティ・リッキー。このたびニュー・アルバム『Late Night Special』をリリースしたマイアミの4人兄弟は、どのようにしてスターダムにノシ上がるきっかけを掴んだのだろうか?
「地元で数多くのショウケースをやって、ポスターやCDを配りまくった。本当に全部自分たちの手でやったんだ。地元のファンも増えて、ラジオでもオレたちの曲がかかるようになった頃、ある男性がオレたちに〈1曲歌ってみろ〉と言ってきた。オレたちはドアマンだと思ってたんだ。そこにあったナイフやフォークをマイクに見立てて歌ったところ、彼は驚いて、〈とにかくすぐにサインしたい〉って言ったんだよ。彼がアトランティックのCEO、クレイグ・カルマンだったんだ!」(プレジャー)。
メジャー・デビューのきっかけまでアメリカン・ドリームそのものだ。セカンド・アルバムのリリースを控えた(取材時)心境についてはこのように語った。
「前作からの延長って感じで作った。ファースト・アルバムは〈Bluestars〉だったけど、新作のテーマ・カラーは炎の赤。それだけホットだっていう意味さ。オレたちはレコード会社やスタッフにとても感謝してるんだ。こうしてインタヴューされる機会ができたのも、彼らのおかげだよ。ファースト・アルバムは日本ではリリースされなかったって聞いたから、今回はリリースされると知って本当に嬉しいね。これを機会に日本の人たちや文化ともコネクトできるのはとてもいいことだと思ってるよ」(ベイビー・ブルー)。
プラティナム・セールスを記録したアーティストなのに、妙に謙虚で好感度もアップ! しかも彼らはかなり日本通のようで、遠い国に対する熱い想いも語ってくれた。
「先行シングル“On The Hotline”のプロモ・クリップ撮影は、本当は日本でやりたかったんだ。ハイテクノロジーな映像にしたかったから、日本しかないと思った。だけど予算がなくてできなかったんだ。結局ブルー・スクリーンで、後から日本の風景を合成して入れた。遠い国の人とも電話で繋がってるというコンセプトで、遠くてハイテクな国っていうので、日本しかないと思ったんだ。日本には携帯のTV電話があるんだろ?」(ベイビー・ブルー)。
「日本でのショウが実現したら220%を出してがんばるからぜひ来てほしい。日本のファンのためだけに特別にセクシーにする予定だよ!」(スペクタキュラー)。
そんな彼らに対しては〈ジョデシィの再来〉という呼び声もたびたび囁かれているが、本人たちの音楽的な影響源に関して訊くと、こんな答えが返ってきた。
「素晴らしい音楽を作っている人すべて。ボブ・マーリーやマーヴィン・ゲイ、もちろんジョデシィやキース・スウェット、イマチュア、それにエアロスミスやローリング・ストーンズなどからも影響を受けている。ジャンルに関係なく、あらゆる音楽を聴いているんだ」(ベイビー・ブルー)。
腹違いの兄弟4人、それぞれの役割を訊いてみると、「4人すべてがリーダーでスターさ。でもキャラはみんな違うよ。オレ、ベイビー・ブルーはビジネス担当。セクシー担当はスペクタキュラー。ワイルド担当はスリック・エム。そしてスムース担当はプレジャーだね。どんな女の子でも好みのタイプをプリティ・リッキーのなかに見つけられるってワケ(笑)」(ベイビー・ブルー)とのことなので、あなたも夢中になれるメンバーを見つけられそう?
PROFILE
プリティ・リッキー
ベイビー・ブルー、プレジャー、スペクタキュラー、スリック・エムの4兄弟から成るR&Bグループ。90年代後半にマイアミで結成されたマヴェリックスを母体に、メンバー交替を経て現在の編成となる。2005年にアトランティックと契約。メジャー・デビュー・シングル“Grind With Me”がR&Bチャートで2位まで上昇するヒットとなり、同年のファースト・アルバム『Bluestars』は100万枚以上のセールスを記録する。その後も“Your Body”などのシングルを連続ヒットさせ、バウ・ワウやオマリオンのツアー〈Scream 4 Tour〉に抜擢される。2006年の〈Scream 5 Tour〉参加を経て、このたびセカンド・アルバム『Late Night Special』(Bluestar/Atlantic/ワーナー)をリリースしたばかり。