インタビュー

ハリー細野&ザ・ワールド・シャイネス

世界に誇る日本のポップ音楽王が、30年ぶりにコンピュータの電源をOFFにして生ギターを手に取った。そして、ゴキゲンなヒルビリーを歌い出す!!


  「生まれたのが1940年代だから、物心ついて聴いてきた音楽――TOP20といったその時代のいちばんいい旬の音楽の影響がすごい強いってことかな。ブルースもそうだけどポップ・ミュージックの基礎、ルーツがヒルビリーで、そういうことを知っていくっていうか、それを聴いて発見していくのがおもしろくて音楽やってるようなものだから」。

 YMO→HASYMOの活動でもいま話題の、70年代から常に日本のポップ・ミュージックを最前線で開拓し続けている細野晴臣。低音が響く素晴らしい歌声を持っているにも関わらず70年代中盤の〈トロピカル3部作〉と呼ばれるソロ・アルバム以降、もっぱらコンピュータを中心に音楽制作を続けてきた彼が今回、ハリー細野&ザ・ワールド・シャイネス名義で約30年ぶりにヴォーカル・アルバム『FLYING SAUCER 1947』をリリースする。UAや忌野清志郎などもゲスト参加した今作は、ヒルビリーやカントリーのカヴァーをはじめ、これまでに発表してきた曲や他アーティストへの提供曲のセルフ・カヴァー、そして新曲といった構成で、それらがすべて高田漣やコシミハルらで編成されたバンドの生楽器演奏による、ヒルビリーをはじめとしたカントリー・サウンド全開となっている。ただ、〈カントリー〉という言葉から一般的にイメージされる野暮ったさは皆無。今作で聴けるサウンドは実にシャープでタイト、楽観的でワクワクドキドキさせられて、クールでゴキゲンでやたらとカッコいいのだ。心地良い揺れを含んだ細野のヴォーカルも実に表情豊かで、セクシーでダンディーだ。

 「ライヴは大っ嫌いだったのに、東京シャイネスでのライヴや〈フジロック〉とかに出たりしていくうちにだんだん声が出るようになって、歌うのが楽しくなってきた。自分でも本当にいまがいちばんいいと思うし、とにかく楽しい」。

 今回、彼がここまで歌うことに熱中したのにはもうひとつの理由がある。

 「ずっと憧れ続けてて、まさか使えるものがあるとは思ってなかった40年代のヴォーカル・マイクが、歌入れの3日前に見つかって。低い声に反応するマイクで、いままでにない自分の声との相性の良さを感じて、〈さあ、これで歌いなさい!〉って言われてるみたいで運命的な気持ちになった」。

 またヴォーカルだけではなく、サウンド全体の音質、音響にも強いこだわりがあったという。

 「いちばんの基本、原点に戻りたかった。とにかく40年代の音質が好きなんで、ブヨブヨしてない骨だけの音楽にすごく憧れが強くて、その響きを出したかった。古いものに返るってわけじゃなくて、次のステップの情報の扱い方っていうのかな、ひとつのマイクで録る情報量の豊かさっていうか、全体の空気の振動を丸ごと録るっていう感じ」。

 ということで、バンドでの一発録りによるレコーディングでは、新たに気付くことも多かったようだ。

 「歌のリズムに合わせてバンドが演奏するから有機的なうねりが出てくる。それで、音楽は歌で出来てるんだってことが初めてわかった。演奏者も僕も両方心地良いから、お互い刺激し合ってそれが相乗効果になって活きが良くなってくる。そういうことをいままで考えたことがなかったから、大事なことを忘れてたんだなあって」。

 ちょうど60年前、UFOが地球に飛来した年に誕生したこの稀代のポップ音楽探求者(愛好者)は、まるで初めてバンドを組んだティーンエイジャーのようにそう楽しげに話す。『FLYING SAUCER 1947』は、そんな〈音楽をみんなで歌って演奏する楽しみや喜び〉が詰まった正当/正統ポップ・アルバムなのだ。

 「みんな笑いながら演ってるんだよね。で、演奏し終わったときには拍手まで出ちゃう。そんなレコーディング、僕初めてだったんだけど、それがきっと自然な姿なんだろうね」。

▼細野晴臣の近作を紹介。

▼『FLYING SAUCER 1947』に参加したアーティストの作品を一部紹介。

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掲載: 2007年09月27日 03:00

更新: 2007年09月27日 17:30

ソース: 『bounce』 291号(2007/9/25)

文/ダイサク・ジョビン

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