TETSUMI TAKAGI
新春特別インタヴュー! タワーレコード社長がbounce読者の皆さまに日頃のご愛顧を込めて、ご挨拶代わりに自身の〈No Music, No Life.〉を語る!
写真/Yayoi
「ビートルズはそれこそ聴いたときの姿勢まで覚えているんだけど(笑)――勉強机があって、本が並んでいて、横にソニーのトランジスタ・ラジオみたいなものがあって、それで勉強もせずイスにふんぞり返って座ってFENを聴いてたら、“Please Please Me”か“Twist And Shout”だったと思うけど、それが流れてきて、ビックリして後ろに転げたという記憶がありますね(笑)。〈こんなのあっていいの!?〉って。それまでは耳触りの良いポップスを流していた局だったから。それ以降はキンクス、ゾンビーズ、ハニーカムズ、デイヴ・クラーク・ファイヴ……ブリティッシュ・ロックの出はじめの頃のものを片っ端から聴いては、レコードを買いに行った。そういう音楽を聴いて中学時代3年間を過ごして、高校1年生のときにビートルズの来日があった。逆に、日本のロックというか音楽シーンの人たちは彼らをコピーして育ってきているでしょ? だからやっぱりコピーだなと思っていたので、当時のロック少年は日本の音楽を軽蔑していた。本物が海外にあって、こちらはそれを真似していると」。
就任から約1年。タワレコの社長、高木哲実は早熟な洋楽ロック少年だった頃についてそう語る。
「高校、大学ではそのロックからだんだん広がって、フォーク・ソングを聴くようになった。ボブ・ディランが登場して。音楽で主張しているというか、何かを表現する人はいいなとビックリして……高田渡、岡林信康、遠藤賢司、友部正人とか日本の音楽も聴いていた。大学時代は紛争騒ぎで、何人かのグループで大学の講堂――正式には京都大学西部講堂をわれわれが自主管理していたんです。当時の言い方でいうと〈占拠〉していた(笑)。芝居や音楽、映画をやったりしていたんだけど、その流れではっぴいえんどの生も初めて体験した。〈日本人でもこんなことをやっている人がいるんだ! やれるじゃん!!〉って思ってビックリでしたね。西部講堂ではあと村八分やブルース・クリエーションなどの企画もやった」。
また同時に、ブルースやジャズにも傾倒していったという。
「ボブ・ディランからかな? でもロックの流れでもどうせそっちに行ってたか。ブルース寄りに走って、それからジャズに入って。関東と関西のあらゆるジャズ喫茶にはほぼ間違いなく行ってる。で、ここまできたらやらないと損だと思って一所懸命ギターを弾いたり、フルートやサックスを吹いてみたりしました。その頃に、歌謡曲とか真似っこJ-Pop以外はみんな吸収した。で、大学の終わりくらいに、自分でやったわけではないけど大学祭で南沙織を呼んだんです。それで聴いてみたら、〈楽しいじゃん、これ!〉って。それまで理屈っぽくなっていた自分をいったん捨てて、〈素直に聴けばいいんじゃないか〉というところまで行けて、なんでも聴けるようになった。〈良いものは良い〉でいいじゃんって」。
大学卒業後、西武百貨店に就職した彼は、70年代後半から80年代を中心に日本の文化と生活のスタイルを大きく変革させた事業の一端を担いつつ、それまでと変わらずさまざまな音楽を楽しみ続けていた。
「僕は店鋪計画をやっていて、六本木の後に池袋にもWAVEを作ったんです。そこにいまでいう〈ワールド・ミュージック〉という領域のLPやCDがたくさんあって、〈こういうのアリなんだ!〉って驚いた。東欧の音楽とかトンデモないものがたくさん並んでいたから、いろいろ買い漁って。あと、池袋店の中にあった西武美術館の隣にART VIVANTというミュージアム・ショップがあって、そこに音楽コーナーができたんです。オフィスがその上にあったから、通るたびにジョン・ケージやペンギン・カフェ・オーケストラなどを聴いて」。
現在も月に20枚ぐらいCDを買って、一日中音楽を聴いているという、まさに〈No Music, No Life.〉なタワレコ社長だが、「出会ったときの感動や驚き、刺激のある音楽がもっと聴きたい」と現在の音楽シーンにリクエストをする彼に、今後のタワレコのあるべき姿について最後に語ってもらおう。
「タワーとしては、マーケットにウケることだけが前提の経済論理だけで生きるんじゃなくて、もっと驚きや刺激のあるものをいろんな人たちに提供できる存在でありたい。それに、音楽の楽しみ方や取り入れ方、生活の中での音楽の享受の仕方が人それぞれになっていると思うので、そういったあらゆる人のあらゆる生活シーンに、音楽を享受するための機会と場とコンテンツを届けていきたいですね」。
▼関連盤を紹介。
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カテゴリ : インタビューファイル
掲載: 2008年01月31日 20:00
更新: 2008年01月31日 20:11
ソース: 『bounce』 295号(2008/1/25)
文/ダイサク・ジョビン