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インタビュー

SANTOGOLD


「M.I.A.も私もスウィッチやディプロと仕事をしているし、カラフルな衣装を着たブラウン・ガールだから比較したくなるのはわかるわ。それでみんなが楽しくなるなら、別にいいんじゃない? 私の音楽を聴いてくれれば、そんなに比較されることはなくなると思うけどね」。

 その交友関係の近さもあって必要以上にM.I.A.と比較されてきたサントゴールド(当人同士も友達らしい)だが、当の本人は客観的な視点でサラリとこう言ってのけた。鮮やかなファッション、MC、ディプロ、スウィッチ……こうしたキーワードから真っ先にM.I.A.を連想する人は確かに多いだろう。しかしながら、ソングライトやプロデュース、A&R業をこなし、スティッフトとしてのバンド活動を経験、近年もリリー・アレンやアシュリー・シンプソンに楽曲を提供するなど、サントゴールドがじっくりキャリアを積んできた努力家であり、実力も十分に備えた才女であることを忘れちゃいけない。

「スウィッチやディプロが喜んで私と仕事をしてくれた理由のひとつに、ふだんの彼らが馴染んでいるスタイルと私の音楽があまりにもかけ離れていることがあると思う。だから彼らのファンは、いつもの彼らじゃないことに驚くことになると思うわ」。

 彼女のファースト・アルバム『Santogold』には、先述の2人をはじめ、フレック・ナスティ、スパンク・ロック、故ディスコD、彼氏のトラブル・アンドリューらユニークな面々が参加しているが、中身の多彩さはゲストの豪華さ以上に見事だ。パンキッシュなロックからディープでトリッピーなダブへと急転する“Say Aha”、ダンスホール・テイストのエッジーな“Creator”、爽やかなギター・ロック“Lights Out”など、作品全体を通じて〈ここまでやるか!〉と思うほど、楽曲のカラーは目まぐるしく変化していく。下手をしたら焦点が定まらないアルバムになってしまう危険もあったはずだが……。

「その可能性はあるかもしれないって最初は思ったけど、いまのところ大丈夫みたい。あらかじめ決められたジャンルに当てはまるように作られた音楽に、みんな飽き飽きしている時期なんだと思う。私はそこに上手くマッチしたんじゃないかしら。いまは90年代初期の、いろんなスタイルが出尽くしてしまったようだった状況に似ていると思うの。加えて、音楽業界のこれまでの仕組みがインターネットのおかげで意味をなくしはじめてるでしょ。〈好き勝手にやらせてもらうわ〉って感じかしら」。

 なお、彼女がいま気に入っているという曲はブロンスキー・ビートの“Smalltown Boy”やシミアン・モバイル・ディスコの“Hustler”、ヤー・ヤー・ヤーズ“Down Boy”、グッチ・メイン“Freaky Girl”といった具合にバラバラだし、影響を受けたアーティストもディーヴォ、バッド・ブレインズのHR、ニーナ・シモンときた。ここまできたらもうそのユニークさが伝わるのでは!? そんな彼女がこの『Santogold』で唯一めざしたこととは……?

「ジャンルの壁やカテゴライズをなくす手助けになればと思うわ。黒人だからR&Bをやれとかいう傾向のプロデューサーと組んでいたら、私はクラブ・ミュージックを作ったでしょうね。私は当たり障りのない上っ面だけの人間じゃないし、私の音楽もそう。可能な限り、人ときちんと向き合いたいの」。

 いつの時代にも〈ジャンルの壁を壊す〉ことを謳うアーティストはいたものだが、サントゴールドほど一枚のアルバムにさまざまな側面を盛り込みつつも、自身の色を鮮明に打ち出すことに成功したアーティストもそうはいないだろう。このアルバムを堪能し、来る〈サマソニ〉でその勇姿を確認すれば、彼女がいかに特別な存在なのかも皆さんにわかってもらえるのではないだろうか。

PROFILE

サントゴールド
76年生まれ、フィラデルフィア出身のシンガー。ポスト・パンクやヒップホップに親しみながら音楽を志す。99年にGZAの“Beneath The Surface”に参加。その後エピックでA&R職を務めるものの、リースの『How I Do』(2001年)を共同制作するために退社する。並行してスティッフトのリード・シンガーを務め、バンドで2枚のアルバムを発表。以降はペイス・ロック“Lindsay Lohan's Revenge”をはじめ、マーク・ロンソンやブラックスター、スパンク・ロック、スティーヴ・アオキらの楽曲に参加して注目を集めていく。2007年にダウンタウンと契約し、今年に入ってファースト・ソロ・アルバム『Santogold』(Downtown/Village Again)を発表。7月9日にその日本盤がリリースされる予定。

カテゴリ : インタビューファイル

掲載: 2008年07月10日 20:00

ソース: 『bounce』 300号(2008/6/25)

文/青木 正之