インタビュー

THE BLOODY BEETROOTS


  スティーヴ・アオキがその魅力に取りつかれてディム・マックとの契約に漕ぎ着け、フェスではハードコア・バンドのライヴかと見間違えるほど会場を激しく揺さぶり、オンライン上でも〈MySpace〉へのアクセスが殺到。この本が出た直後には〈フジロック〉への登場も果たしているはずで、いま何かと話題に上っているブラッディ・ビートルーツ。

 「タニノ・リベラトレが俺の人生を変えたんだ。9歳の頃から彼のコミック〈Ranxerox〉を読んでたんだよ。ヴァイオレンスと強烈な言語が怒り狂った猛烈なパンク魂を俺に植え付けたんだ。『Romborama』はそのサイクルを継続している。これは俺たちの話、俺たちの挑戦なんだ。音楽的で視覚的なアナーキズムってわけさ。格好良かろうと、醜かろうとどうでもいい。大切なのは〈本物〉だってことだ。これはヴェニスの地下室で作曲され、パリの寝室で描かれたアルバムなんだ」。

 ファースト・アルバムとなる『Romborama』の、最高に悪趣味で、最高にいかしたアートワークを手掛けたタニノ・リベラトレについてそう語る中心人物のボブ・リフォ(以下同)。この発言はブラッディ・ビートルーツの姿勢を表し、またアルバムの核心を見事に言い当てている。ポスト・パンク、シューゲイズ、アシッド・ハウス、ディスコ、ニューウェイヴなど、ボブ自身が「俺にとってのダークサイドにある音楽なんだ」と語るさまざまなスタイルを集約して生まれたこのアルバムには、PVにおける狂乱のパーティー映像が印象的な“Cornelius”や、スティーヴ・アオキをフィーチャーした“Warp 1.9”のような爆発力が漲るお得意のハードコア・トラックと並んで、“2nd Streets Have No Name”や“Little Star”などポップだったりメロウな雰囲気を湛えた楽曲も収録されており、型に縛られることなくやりたい放題だ。

 「自分の感情に何もフィルターをかけずプロデュースしただけ」というその無秩序な流儀を反映してか、彼のパンク・スピリットは至るところで顔を覗かせてくる。そんな無茶苦茶加減がブラッディ・ビートルーツの魅力でもあるが、もうひとつ、ライヴやDJセットで常にマスクを被っているボブとトミー・ティーの、素性が見えてこないミステリアスさを抜きにその存在は説明できない。誰もが気になるこれまでの活動歴や、ユニット結成のいきさつを訊ねてみると……。

 「俺は98年以来ずっとプロデュース活動してるよ。2005年にはパンク・バンドもやってて、トミーは俺のツアー・マネージャーだった。それでバンド+DJのパッケージをプロモーションしたくて、DJセットを作ろうと決めたんだ。そこからエレクトロ・プロデューサーとしての偽名が生まれたわけさ。ブラッディ・ビートルーツと、トミーとやってるブラッディ・ビートルーツ・DJセットはライヴ・バンドのためのサポート・アクトってことだ」。

 ってことは、ボブのひとりプロジェクトなの!? 詳しく話を訊いてみると、どうやらトミーはライヴ/DJセットのサポートメンバーらしい。〈クルッカーズやマスタークラフトの覆面ユニットでは?〉なんて話はあくまでも噂だったのか? その点について明確な回答はなかったが、彼(ら)がイタリアのコメディア・デラルテ(16~18世紀の即興喜劇)とスパイダーマンの融合だというマスクを脱ぎ捨てる日も近いようだ。

 「俺はサー・ボブ・コーネリアスでしかない……俺とトミーがマスクを被っている限りはね。じきに俺の顔も見られるよ。もう混乱しないでいいからね」。

 ボブ・リフォのパーソナルについて興味は尽きないが、いずれにしてもブラッディ・ビートルーツがクラブ・ミュージックの概念を変えてくれるのは間違いなさそうである。

 「俺はクラブをコンサート会場のように変えたいんだ。DJやライヴを観にきてくれる人たちにとって、俺にはロックンロールに向かっていく責任があるのさ」。

PROFILE/ブラッディ・ビートルーツ

イタリアはミラノを拠点に活動するボブ・リフォのプロジェクト。90年代から音楽活動を始め、アルフレッド・アゼットやトミー・ヴィーといったハウス・クリエイターの作品で楽器演奏やリミックスに携わる。2005年頃に本名義での活動を開始。2007年にエティエンヌ・ドゥ・クレシー“Funk”をリミックスして注目を集め、翌年にかけてマスタークラフトやクルッカーズ、ロビン、シークレット・ハンドシェイクらを次々にリミックスしてその名を広めていく。2008年にディム・マックと契約し、『Rombo EP』でデビュー。以降も“Cornelius”“Warp”といった配信曲で話題を呼び、このたびファースト・アルバム『Romborama』(DimMak/Downtown/KSR)をリリースしたばかり。

カテゴリ : インタビューファイル

掲載: 2009年07月22日 18:00

ソース: 『bounce』 312号(2009/7/25)

文/青木正之