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インタビュー

RHYMESTER

 結成20年という節目の年に、〈キング・オブ・ステージ〉がいよいよ表舞台に帰還した。充実のソロ活動やライヴハウス・ツアーを経験し、改めてヒップホップと向き合った3人の復活作“ONCE AGAIN”は、クルー史上最高にエモーショナルかつストレートな王道アンセムだ!!

なんでヒップホップは音楽一歩手前なんだろう?

――2007年3月に行なった武道館公演のDVDが出るタイミング、2007年の11月にみんなに話を訊く機会があって、その時にDくんは〈現場からやり直したい。現場をもう一度ちゃんと見ないとダメだ〉って言ってたんだよね。で、実際にその直後の2008年2月からクラブ・サーキットを始めるわけなんだけど……1年ちょっとの期間で16か所も回ってる。

Mummy-D(以下:D)「そんな行ってんの!? 俺、10か所ぐらいだと思ってたよ」

DJ JIN(以下:J)「そういえば当時、Fire Ballに〈いま月に2回ぐらいのペースでライヴやってるんだよね〉って言ったら〈多いね!〉って言われたな」

――なかなかハードなサーキットだったと思うんだけど、まずはその成果や収穫についての話から訊こうかな。

D「まずねぇ、現場をだいぶ離れてたから……地方でライヴをやるにしても、通常のツアーだと会場がホールになっちゃうからさ。クラブで夜中にライヴをやるっていうのは久しぶりだったので……まずは俺らが受け入れられるのかって不安があったよ、最初は」

――えー!? ホントに?

D「うん、本当にそんな感じだったんだよ。たとえば客が来たとしてもいっしょに出演する地元のコたちの客かもしれないし、〈俺らの古い曲とか知ってるのかな〉とか、〈微妙な雰囲気だったらどうしよう〉とか、それこそ〈人が本当に来るのか?〉ぐらいに思ってたからさ」

――それはちょっと意外な……。

D「でも、そういう懸念に反してどこのクラブでも満員だったし、盛り上がりもすごかったから……最初は嬉しい戸惑いがあった。〈人気あるじゃん、俺たち!〉みたいな」

J「あと、韻踏合組合とかTARO SOULとか、下の世代が対バンになることが多かったんだけど、そういう若い連中がまた喜んでくれたりしてね。彼らはRHYMESTERをクラブで観るって機会がなかったからさ。お客さんだけじゃなく、そういうところの反応もすごく良かったね」

D「10年ぶりぐらいに会うような、地元の古い仲間たちがまだがんばってたりしてさ。そういうのにも感銘を受けたね。それは今回の“ONCE AGAIN”のコンセプトに繋がったところでもあるし。地方でやり続けるのって大変だと思うんだよ。でもみんな仕事をやりながらでもヒップホップを捨ててなくて、そこはいちばん感動したところかな」

――そこではどういうライヴをやっていたの? いままでのフォーマットを見直すような感じ?

宇多丸(以下:U)「うん、いままでのフォーマットの強さの確認でもあるんだけどね。〈こんなヒップホップはもう時代遅れかな?〉とも思ったんだけど、俺らみたいなスタイルでやってる人はいないし、こういうライヴを観たことがない人もいるわけだよ。だから、いい意味で存在価値が増してるとも言えるというかね」

――で、クラブ・サーキットと並行して各々のソロ活動がありました。まず士郎くん(宇多丸)は単行本「マブ論」やJ-PopのミックスCD『申し訳ないとフロム赤坂“アーバンMIX”』を出したり、あとサイプレス上野とロベルト吉野やYou The Rock★をはじめとするいくつかの客演があったわけだけど、なんといってもパーソナリティーを務めるTBSラジオ〈ウィークエンド・シャッフル〉での活躍が大きいよね。

U「ギャラクシー賞受賞とかは完全に予想外だったけどねぇ……でもまあ、たとえば昔に〈blast〉で連載してた〈B・ボーイ魂〉とか、ああいうのをラジオでやっているとも言えるし、一貫して訴えてきたことがようやく世間に通じたって感じかな。俺がやってるいろいろなことを全体像として把握してもらえてなかったから、ようやくそういう場ができたっていうのもあるね」

――音楽活動へのフィードバックはある?

U「ありますよ。たとえば、人が作ったものを毎週評論していると、クリエイティヴな活動やエンターテインメントには何が必要で、一般的にどういうところで失敗するかがよくわかるんだよね。それこそ、ひとりよがりになったらおしまいだとか、チームワークの大切さとか。だけど同時に、ここを曲げちゃったら意味ないんだよなー、とかさ。まあ、要するに(人の振り見て)我が振り直せってことなんだけどね」

――なるほど。で、Dくんはもちろんマボロシだよね。アルバムを2枚出して、ツアーも2回やりました。その活動を通じて椎名林檎やスガシカオとコラボすることにもなるわけだけど、やっぱり〈ポップ・ミュージックのなかでどうするか?〉みたいなことを考える局面が多かったと思うんだよね。

D「そうだねぇ、うん。いちばん考えたのは……なんだろうなあ。ものすごくデカい言い方をすると、音楽ってなんだろう?みたいな……なんで俺たちは音楽一歩手前ぐらいなんだろう?っていうか……」

――〈俺たち〉っていうのはヒップホップね。

D「うん。俺のこの表現形態っていうのはなんなんだろう、とか。歌はなぜポップであるのか、とか……とにかく、音楽の構造についていろいろ考えたりしちゃってね。音楽をおもしろくしてるのはなんなんだろう、みたいなことをすごく考えて……それに対して自分はどういう立ち位置にいるのか、何をしていけばいいのかを考えてた。自分のなかでまだ整理されてない部分もあるんだけどさ。あとは歌詞かな? 林檎ちゃんもスガさんも歌詞がすごいから、ヒップホップに足りないのはなんなんだろう?とかは考えたね」

――そういえば、ちょっと前にバート・バカラック&ハル・デヴィッドの曲に感銘を受けたみたいなことも言ってたよね。

D「古典的名曲の歌詞のおもしろさとかね。あと、日本のポップスの歌詞のおもしろさも。そういうところに全然耳がいってなかったからさ。初めてそういう耳ができて、すごく気になってきちゃってね。俺と同じぐらい、それからちょっと上ぐらいの年代の男性シンガーって何を歌ってるのかなって。それで、トータス松本さんとか斉藤和義さんのCDを買って聴いたり。俺としては珍しい方向というか、いろいろと耳が広がったってことなのかな」

――はい。最後はJINくん。JINくんは、3人のなかではいちばん現場に根差した活動をしていて、全国でのクラブ・プレイを中心に、日本語ラップ・ミックス『The Groovement』のリリース、それから渋谷のクラブ〈Nuts〉のコンピレーション『This Is...』の総合監修をはじめとする数々のプロデュース・ワークがありました。そのなかにはMay JとかFunky Monkey Babysとか三浦大知とか、メインストリームの仕事もけっこうあったよね。JINくんは武道館公演のDVDリリース時のインタビューで〈マスなところとそれ以外のところが離れすぎちゃって、そこで曲を作って形にしていくことはけっこう難しい〉と話していたんだけど、そういうなかでどういうことをテーマに制作に臨んでた?

J「一般的には知られてないけど、自分で〈これ、かっこよくね?〉と思えるいちばんクールな音楽をやってるつもりだし、そういった音楽を紹介していきたいってところはずっとブレてなくて……で、ここ2年ぐらいでポップ・フィールドの人たちもそのへんに対してだいぶ理解を示してくれるようになったし、チェックしていたりすることが多くなった。だからこそ、そういう方面から声がかかるようになったっていうのはあると思う。でも……全然まだまだっていうか……難しいね(笑)」

――この2年ぐらいでJINくんのシグネチャー・サウンドみたいなものがグッと明確になってきて、それをメジャーなフィールドでも強くアピールできている印象があるけどね。

J「いわゆるメジャーなポップスの人と仕事をしても、〈JINさんが考えるいちばんカッコイイ音を出してください〉みたいなことは言われる。最近はヒップホップのクロスオーヴァー化みたいなことがよく取り沙汰されてるけど、そういうことは昔から全然やってる、って自負もあるしね。ライト感覚で聴いているような人でも、何かこの曲違うかも、って思ってくれるようなものを作ってるつもりではある」

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掲載: 2009年10月14日 18:00

更新: 2009年10月14日 18:37

文/高橋 芳朗