インタビュー

Psysalia Psysalis Psyche

  Psysalia Psysalis Psyche初のフル・アルバム『Matin Brun』が完成した。耳の早いロック・キッズにはもはや説明不要かもしれないが、いまではライヴでのアンセムとなった“subway killer”収録のミニ・アルバム『Psysalism』で注目を集めるも、その後は沈黙。1年半近くも音沙汰がなかった彼らが何をしていたのかと言えば、この素晴らしい作品をコツコツと作り上げていたのだ。ここには、現在失われつつある〈混沌〉と〈美〉に根差した狂気のロックンロール・スピリットが生々しく息づいている。ジリジリと鼓膜が焦げ付くような直情的なノイズとバンド・サウンド、ニヒリスティックでセクシャルなメロディー、そしてそこに漂う仄かなインテリジェンス――さて、このアルバムはいったいどのように生み出されたものなのだろうか? いつも何かに対して不機嫌そうな彼らに話を訊いた。

 「レコーディングをする前の段階から、何回も話し合いは重ねてきたんですよ。フル・アルバムとして絶対に意味のあるものを作らなくちゃダメだから。俺たちのバックグランドを作ってくれたあらゆる音楽を凝縮して、逆にロックをぶっ壊してやろうって(笑)」(内田紫穏)。

 「本当に妥協は一切ないです。サビの一節だけで30パターンくらい作ってそこからいちばん良いのを決めたり、スネアの音ひとつに何十時間もかけたり。他と違うことをするには、それだけの時間がかかるということだと思うんですよ。他と同じことがしたければ、いくらでも他にサンプルはあるからそれをパクれば良いし」(松本亨)。

 「紙ジャケにしたのも、PVもいっしょに作ってくれている東信さんの絵を一枚で見せたかったからで。内包するすべての楽曲と、それを包むこの絵も含めての『Matin Brun』です」(内田)。

 オルタナ、シューゲイザー、クラウト・ロック、ガレージ・パンク、トリップ・ホップなどさまざまなテイストの斑模様が蠢く、怒りに満ちたアルバムを作ったのには、社会に対する彼らの問題意識が根底にあるという。

 「音楽業界に限らず世間一般の人たちも、自分がいま置かれている状況に疑問を持たない。怒りすらしない。そこに気付かなければ日本の音楽シーンは絶対に変わらないと思う。レーベルが用意してくれたものに乗っかるだけじゃなくて、自分たちの信念を作品として残す。本来ロックってそういうものだと思うんですよ。だからこのアルバムはいま存在する固定概念を破壊するものにしたかった。これよりロックなアルバムって、いまは他にないから」(松本)。

 「このバンドが持ってる〈恐さ〉みたいなものがいちばん出ていると思う。これまでは露骨に人を殺すような曲が多かったけど、ここにはサイコな恐さがある。いつ殺しに来るかわからないような感じ(笑)」(内田)。

 他を寄せ付けない圧倒的な美意識と孤高性。「Psysalia Psysalis Psycheは排他的」(松本)と語る口調にこそ自嘲を込めた笑いはあるものの、その目はいつだって真剣だ。

 「群れてムーヴメントを作るのも大事なことだとは思うけど、本当に良いと思えるバンドが他にいないから、群れたいと思っても群れることができないんすよ(笑)。それに、そう簡単に話しかけられないムードを出すのって、ロック・バンドとして大事なことじゃないですか? 客と仲良しでキャッキャやってるのって、俺はカッコ悪いと思うから」(松本)。

 「俺たちの前にある壁を越えるのって、お客さんは勇気がいるじゃないですか? 俺はその壁を越えて、恐いけど近付きたいと思わせたいですね。よくわかんねえけど(笑)」(内田)。

PROFILE/Psysalia Psysalis Psyche

内田紫穏(ヴォーカル/ギター)、松本亨(ギター)、上條展弘(ベース)から成る3人組。2005年にMr.R(キーボード)を加えた4人で結成され、都内を中心に活動をスタート。2006年にドラムスに宮内告典が加入(現在はサポート・メンバー)し、ライヴ会場限定の自主制作盤『Psysalia Psyasalis Psyche EP』を発表。2007年に同作が都内の限定店舗で流通を開始するなか、CS音楽チャンネルのオーディション番組で1位を獲得。その後Mr.Rが脱退。2008年にミニ・アルバム『Psysalism』をリリース。以降は活動も全国区へと広がり、精力的にライヴを重ねる。2009年に先行シングル“Midunburi”を発表。このたびファースト・フル・アルバム『Matin Brun』(SEEZ)をリリースしたばかり。

カテゴリ : インタビューファイル

掲載: 2009年10月21日 18:00

ソース: 『bounce』 315号(2009/10/25)

文/冨田 明宏