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インタビュー

前野健太 『オレらは肉の歩く朝』

 

東京を彷徨うストリート・シンガー・ソングライターが、ジム・オルークと共に作り上げたシネマティックな新作。薄闇のなかから、肉の歌う肉の歌が聴こえてくる──

 

 

いよいよ始まった

例えば警察に職務質問されたとき、〈職業は?〉と訊かれたら、ぼそっと〈シンガー・ソングライター〉と答えてほしい──前野健太には。自作自演なんて珍しくない今日この頃、前野の歌にはそうしてしまうことの恥ずかしさや、欲望、そして、プライドが詰まっている。過去に発表した3枚のフル・アルバムはすべてセルフ・プロデュースされてきたが、前作のミニ・アルバム『トーキョードリフター』に初のプロデューサーとして吉田仁を招き、変化の兆しを見せていた。そして、新作『オレらは肉の歩く朝』でプロデュースを任せたのはジム・オルーク。相手にとって不足はない。

「『トーキョードリフター』のレコ発ライヴをジムさんが観に来てくれていて、〈前野さんはキンタマがある〉って言ってたらしいんですよ(笑)。周りからも〈ジムさんのプロデュースでどう?〉みたいな話があったので、そういう流れがきているのなら、それに身を任せてみようかなって思ったんです」。

『トーキョードリフター』に続いて、石橋英子が今回も重要な役割を担っているが、さらに石橋と活動を共にするバンド〈もう死んだ人たち〉や、前野のバンド〈DAVID BOWIEたち〉も集結。スタジオで合宿しながらレコーディングは進められた。

「これまでとは全然違う体験でしたね。レコーディングに入るまでジムさんとは2、3回しか会ってなかったんですが、スタジオに着いて楽器の準備をしてたら〈もう始めよう〉って言われて、いきなり弾き語りで4曲ぐらい録ったんです。現場ではジムさんや石橋さんがどんどんアイデアを出してくれて、その場でアレンジを決めていったんですが、僕はその場でいろんな決断をしていかなければならなくて。自分の音楽家としての実力のなさというのをまざまざと目の当たりにしてしまった」。

これまで一人で緻密に自分の世界を作り上げてきた前野にとって、試練でもあり冒険でもあった今回のレコーディング。「これまで必死で守ってきたものなんてもういらない」と悟ったとき、彼は〈いよいよ、始まったな〉と思ったらしい。それはこれまでの自分を壊して、新しい歌を探す旅の始まりだ。

弾き語りからバンド・セットまで、アルバムは多彩な表情を見せるが、そこには細やかなアイデアや音に対する細心の注意が織り込まれている。例えば“興味があるの”のようなシンプルな弾き語りナンバーでは「ジムさんはギターを叩いたり耳をあてたりして響きを調べて、時間をかけてマイクをどう立てるか考えていました。そのギターの良いところを引き出そうとして」。そうかと思えば、「歌入れのときになかなか上手くいかなかったら、ジムさんが〈リズムなんてFuck Off! 気にしなくて良いから〉って(笑)。それでハッとなって気持ちを込めて歌えたんですけど、ジムさんは緻密なところがある一方で、そうやってはみ出すところもあるのがおもしろくて」。

そうしたジムとの共同作業が、前野の作品に新たな音の風景を生み出していく。例えば“ジョギングしたり、タバコやめたり”では、突然、不穏なヴァイオリンが入ってきてコンビニ帰りの平凡な風景に亀裂が入る。

「カエターノ・ヴェローゾのコードをちょっと拝借したんですけど、僕が〈放射能〉のことを〈ホーシャモー〉って歌って誤魔化しているのに、ジムさんはそこに反応して〈ここにヴァイオリンを入れたい〉って、その場でストリングスの楽譜を書き出したんです。あそこは異様な怖さがありますよね」。

この曲をはじめ、アルバムにうっすら漂うアシッドな空気は、前野が一時期よく聴いていたというドラッグ・シティ周辺のアーティストの作品に通じる雰囲気もある。なかでも“海が見た夢”は「ウィル・オールダムっぽい曲で、ジムさんが〈これはスモッグみたいにしよう〉って言ってミックスを考えたんです。ジムさんがプロデュースしたスモッグの『Knock Knock』は大好きな作品なんですけど、アルバムのなかでこの曲がいちばんドラッグ・シティっぽいですね」。

 

言い切れない感情

そんな刺激に満ちたレコーディングは前野の歌に当然の如く影響を与えた。彼自身、自分の歌声に驚かされたと語るのは、ライヴでずっと歌ってきたという“東京の空”だ。

「この曲はいちばん最後に歌入れしたんですけど、自分が思ったように歌えなかったんですよね、最後まで。この曲って何か大きなものを肯定している曲なんです。〈東京の空はこれからも青いんだろうな〉って。でも、いまはそういうことが信じられなくなってきていて、それが歌声に表れてしまった。これまで、そういう自分の素の感情はできるだけ隠して曲を作ってきたんですけど、今回はまさにドキュメンタリーというか、音楽ってそういうことにもなるんだなって自分でも驚きましたね」。

さらに「自分のなかで東京は終わった」とも感じていると語る前野。そうした気分の変化を象徴するのがアルバム・タイトルだ。「いま、ミュージシャンが付けるアルバムのタイトルがキャッチーになってきているのに違和感を感じる」という前野が選んだ『オレらは肉の歩く朝』という強烈なタイトルには、言葉と歌で世界を切り取る人=シンガー・ソングライターとしての彼のアティテュードが込められている。

「ある朝、通勤で駅に向かう人を見ていたら、人間じゃなくて肉が歩いてるって思ったんです。そのとき、自分のなかで何かが弾けたんですよ、いまの時代を表すのはこれじゃないかって。その理由を細かく説明することはできないんですけど、だからこそタイトルにすべきだと思ったんです。震災以降、まだ東京にはヤバい空気が漂ってるのに、それをキャッチーな言葉で表すなんてできない。言い切れない感情こそ、もっと出していかないといけないんじゃないかって」。

ジム・オルークという鬼才と共に、まるで一本の映画のように歌い手の心象風景を紡ぎ出した本作。前野の〈これまで〉と〈これから〉を繋ぐ重要な作品なのは間違いないだろう。闇の向こうから、肉の歌う肉の歌が聴こえてくる。



▼文中に登場するアーティストの作品を一部紹介。

左から、カエターノ・ヴェローゾの99年のライヴ盤『Omaggio A Federico E Giulietta』(Mercury)、ウィル・オールダムの97年作『Joya』、スモッグの99年作『Knock Knock』(共にDrag City)

 

▼『オレらは肉の歩く朝』参加アーティストの作品を紹介。

左から、ジム・オルークの2010年作『All Kinds of People ~Love Burt Bacharach~ produced by Jim O'Rourke』(AWDR/LR2)、石橋英子の2012年作『imitation of life』(felicity)、山本達久が所属するNATSUMENの2005年作『Endless Summer Record』(TOPMEN/BLITZ・PIA)、大久保日向が所属するGELLERSの2007年作『GELLERS』(compare notes)、波多野敦子の2011年作『MARIA』(triola)、須藤俊明が所属するuminecosoundsの2012年作『umi-necosounds』(CINRA)、POP鈴木が参加するすきすきスウィッチの86年のソノシートを復刻した2枚組『忘れてもいいよ』(SUPER FUJI)

 

カテゴリ : インタビューファイル

掲載: 2013年01月24日 20:40

更新: 2013年01月24日 20:40

ソース: bounce 351号(2012年12月25日発行)

インタヴュー・文/村尾泰郎