既に小5の頃にはマイルス・デイヴィスなどに夢中になっていたという
鷺巣詩郎は、1957年東京生まれ。父は、漫画家にして特撮ものやアニメなどの世界で異能を発揮したうしおそうじ氏。「まったくの放任主義」の下で育った詩郎少年が音楽と直に触れ合うようになったのは、近所のカトリック系教会でピアノとヴァイオリンを習いだした5歳の時だった。今回の新作に限らず、彼の作る音楽にゴスペルやクラシックなどの色(言い換えれば、神聖さと荘厳さ)が濃厚なのは、おそらく、この幼少時の体験から来ているのだろう。
「そうでしょうね。今でも、教会に行くと気持ちが落ち着くし」
音楽への情熱は歳と共に高まってゆき、暁星中時代には、独学で楽理やジャズのアレンジなどを熱心に勉強するようになった。既に小5の頃にはマイルス・デイヴィスなどに夢中になっていたという。
「中1の時、高等部の2年に渡辺香津美さんがいたんですが、彼の演奏を見て、自分が演奏家として身を立てるのは無理だと思った。そこで、作曲や編曲をやろうと思いたち、放課後はほとんど毎日、銀座や渋谷のヤマハに行って、楽典の本やジャズの楽譜などをずっと立ち読みしていたんです」
そんな独学の成果を確認するため、高校時代には3ヶ月間だけ、現代音楽の作曲家として当時注目を集めつつあった佐藤聰明に楽理などを教わり、更にその後も、ジャズ・ピアニストの佐藤允彦からアレンジの手ほどきを受けている。プロとしてクレジットされた最初のレコードは、前述したスクエアのデビュー・アルバム『Lucky Summer Lady』(78年)だ。やがて彼は、譜面にめっぽう強い若手アレンジャーとして仕事がどんどん増えてゆき、80年代には歌謡界でひっぱりだこになってゆくわけである。
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