アル・グリーンは、70年代に“Let's Stay Together”“I'm Still In Love With You”などのヒットを連発したハイの看板アーティストである。けれど、ファルセットを交えて悩ましく官能的なヴォーカルで迫るアルのスタイルは、いわゆるサザン・ソウル的なディープさとはやや違っていて、ハイでは異色の存在だったとも言える。逆に言えば、サザン・ソウルらしさを過度にアピールしなかったことが全国区での成功に繋がったように思うのだが、どうだろう。
そんなアルは、46年にアーカンソー州フォレストシティで生まれている。兄弟で組んだグリーン・ブラザーズというゴスペル・グループを出発点に、クリエイションズというグループに参加、自己名義のデビュー・シングルをリリースしたのはアル21歳の時、67年のことだった。それがホット・ラインから出した“Back Up Train”で、翌年には同名タイトルのアルバムもリリース。だが、ホット・ラインがレーベル活動を休止。その頃に出会ったのがハイでプロデューサーとして活躍していたウィリー・ミッチェルで、アルは69年ハイに入社し、スターへの切符を手にした。
録音はメンフィスのロイヤル・レコーディング・スタジオ。当初こそ荒削りでスタイルが確立されていなかったアルだが、71年に全米1位となった“Let's Stay Together”にてムーディーなアル節を完成し、人気も急上昇。だが、そんななかアルは当時のガールフレンドに玄麦入りの熱湯を浴びせられて重傷を負い、同時にその女性が自殺してしまうというショッキングな事件に見舞われる。絶頂期だった74年のことだ。それでも進撃は続き、78年には来日公演(81年に『Tokyo...Live!』としてリリース)も行った。しかし不運は重なるもので、ハイとの契約が切れた79年にはステージから転落して怪我……。これらの事件を天罰だと感じたのか、アルは牧師になってしまう。以降、80年代はマー~A&Mでゴスペル・シンガーとして活動。それでもあのアル節は変わらず、88年にはアニー・レノックスとデュエットした“Put A Little Love In Your Heart”が全米チャート9位をマークするなど、世俗との繋がりもしっかり保っていた。
こうしてゴスペル方面の活動を続けてきたアルは、93年には久々のソウル・アルバム『Don't Look Back』をリリース(後に別タイトルの改編盤もリリース)。その後、〈ロックンロールの殿堂〉入りを果たし、以降も企画盤への参加やTVドラマ「アリーmyラブ」への登場など、再評価的な動きも活発になってきた。近年はアン・ネズビーと共演し、昨年もクイーン・ラティファとのデュエットで72年の自曲“Simply Beautiful”を歌い直していたアル。そんな最中にブルー・ノートから放った前作『I Can't Stop』(2003年)はグラミー賞にノミネートされるほどの評判を呼ぶこととなった。そして今回は、その余勢を駆って、1年半という短いインターヴァルでニュー・アルバム『Everything's OK』をリリースしてきたのだから凄い。まるで70年代のような好調ぶりだ。
プロデュースは前作に続いてウィリー・ミッチェル。ベースのリロイ・ホッジズなどハイ所縁の面々がバックを支え、見事に70年代のアルを再現している。今回は新たに元スタックスのギタリストであるボビー・マニュエルも参加し、ボビー・ラッシュのブルース・ハープが聴けるのも話題だろう。ビリー・プレストン“You Are So Beautiful”のカヴァーも素晴らしい。が、それ以外はすべてアルがソングライトに関わった新曲だ。
「僕はレコードを作るその時代に書くべきことを書いて、それを歌う。だから、2005年の作品には20年前に書いた曲はない。リアルタイムのレコードさ!」。
The Reverend Al Green=牧師のアル・グリーンは、世俗の歌を通じて人々の魂を鼓舞する〈愛の伝道師〉として、いまも活き活きと歌い続けているのだ。