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サイレンス──鈴木大拙、ジョン・ケージ、そして22世紀へ

サイレンス(2)

連載
OCHANOMA Pre-View
公開
2012/08/17   21:29
ソース
intoxicate vol.99(2012年8月20日発行号)
テキスト
文/柿沼敏江

ソロー、エックハルト

大拙の禅の教えは、「無心」や「融通無碍」といった言葉でケージのなかに埋め込まれ、その後の音楽や人生の指針ともなっていったが、それはただ禅の影響という言葉で表されるものではなかった。大拙は禅の研究家であっただけでなく、禅を世界の宗教や思想と繋ぐ役割をも果たした人である。大拙の著作にはしばしばエマーソン、ソローといったアメリカの超絶主義の作家たちが登場する。青年時代にエマーソンを愛読していたという大拙は、禅と超絶主義に共通するものに注目していた。「エマーソンは禅を説くものなり」と述べ(「エマーソンの禅学論」)、またソローを「東洋風の人」と呼び、森のなかに丸太小屋を建て、自然の音を聞いて暮らした「仙人哲学者」として描いている(「禅と日本人の気質」)。

ケージは学生時代にソローを読んではいたが、この作家の文章を用いるようになったのは1967年になってからで、直接的には作家のウェンデル・ベリーがソローの日記を朗読するのを聞いたことがきっかけだった。ケージはソローの日記を用いて《ミューローMureau(Mu-sicプラスTho-reau)》というテクスト作品をつくり、そしてその延長線上で《空っぽの言葉(エンプティ・ワーズ)》を書いた。4つの部分(レクチャーと呼ばれる)に分けられたこの作品では、ソローの文章がフレーズとして抜き出され、それは次に言葉とシラブルに、そして最後には音素、文字へと細分化されていく。シンタクスを音へと分解することによって、ソローの文章は音声として聞かれるテクストへと再構成されているのである。

ケージは1968年にソロー協会の生涯会員として登録し、またウォルデン湖とソローの住んだ小屋を訪ねてもいる。このようなケージのソローへの心酔は突然起こったものではなく、おそらくはだいぶ前に鈴木大拙の講義を通じてソローの重要性に気づいていたと思われる。自然のなかで自然と共存して生き、物質文明を拒否するソローのなかには仏教的、禅的思想に通じるものがある。「私がこれまでに抱いたあらゆる考えがそこにある。わざわざ考える必要などなかったのだ!」とケージは述べている。

同じことが中世ドイツの神秘思想家マイスター・エックハルトにも言える。大拙はエックハルトの眼は内と外を一目に見る一雙眼だとし、エックハルトの神秘思想に禅との類似性を指摘している。その眼は、見られるものが見るもの、見るものが見られるものというときに成立する眼であるとし、大拙はこれを「無分別の分別、無心の心」と呼んだ。「神はひとつの無であり、そして神はひとつの何かである。何かであるもの、それはまた何ものでもないものである」というエックハルトの言葉は、ケージの「無についてのレクチャー」や「何かについてのレクチャー」にも木霊している。ある証言によれば、1952年にブラック・マウンテン・カレッジで行なわれたシアターピースでは、ケージは梯子の上でエックハルトの著作を朗読していたという。

鈴木大拙の教えは、たんに禅や仏教思想に留まるものではなく、それを越えて世界の思想に通ずる広がりを持つものであった。ケージは、1962年と64年に日本にやってきて、いわゆる「ジョン・ケージ・ショック」なるものを引き起こしたが、この2回の滞在のいずれにおいても大拙を訪問している(『鈴木大拙全集』の年譜には、1962年10月2日、「在松ヶ岡文庫、ジョン・ケージ来訪」と記されている)。64年のときには、マース・カニングハムが同行し、90歳を越えるこの老哲学者の「顔が赤ん坊みたいに微笑んでいる」と述べた。

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