こんにちは、ゲスト

ショッピングカート

注目アイテム詳細

コーガン夫妻による『2つのヴァイオリンのための作品集』がオリジナル装丁のLPで復活!

カテゴリ : ニューリリース | タグ : 高音質(クラシック) クラシックLP

掲載: 2020年07月22日 15:00

コーガン夫妻によるヴァイオリン・デュオ

レオニード・コーガン、エリザベータ・ギレリス夫妻のデュオの妙技を堪能!

TESTAMENTよりLPの新譜の登場。エミール・ギレリスの妹にしてコーガンの妻、エリザベータ・ギレリスと、レオニード・コーガンによる2つのヴァイオリンのための作品集。エリーザベト・ギレリスとコーガンはデュオを組み、バッハの2つのヴァイオリンのための協奏曲は大評判となり、さらにワインベルクはこの二人のために2つのヴァイオリンのためのソナタを書いています。エリーザベト・ギレリスは当時のソ連を代表する素晴らしい演奏家の一人でモスクワ音楽院で教授も務めた実績もありますが、ギレリスの妹、そしてコーガンの妻、ということで、彼女の実力に目を向けられる機会はなかなかありません。あらためて二人の演奏を通して、彼女の芸術にも触れることのできる内容です。イザイのソナタがこの時代に、しかもこのデュオで録音されていた、ということでも注目の内容です。
(キングインターナショナル)

4曲のデュオはルクレール2曲とテレマン、そしてイザイという順で入っています。ルクレールでは2台のヴァイオリンが呼びかけあうような愉悦感、美音と美音の戯れ、交錯が弦楽器好きにはたまらない聴き物となっています。テレマン作品は小品ながら、2人が同じ楽譜を1小節ずらして演奏する楽しいカノン。イザイ作品は1915年ベルギーのエリザベート女王に献じられた作品。それぞれのヴァイオリンが重音を駆使して、弦楽四重奏のような豊かなハーモニーを奏でる作品で、技巧的に難しいことからあまり演奏されませんでしたが、コーガン夫妻が積極的にステージに乗せ、1963年の日本公演でも披露されてファンを喜ばせました。この録音が世界初録音盤です。このヴァイオリン・デュオのオリジナルLPは発行枚数が少なく、極めて入手困難な希少盤となっているだけに、今回のオリジナル装丁でのLP復活は多くのLPファンに喜ばれることでしょう。
(タワーレコード 商品本部 板倉重雄)

【楽曲解説】
(1)ルクレール:2つのヴァイオリンのためのソナタ ハ長調 作品3-3 ト長調 作品3-1
フランス・バロックの作曲家ルクレールは、コレッリとヴィヴァルディの弟子にあたるソミスに学び、イタリアの演奏伝統をフランスに持ち込んだヴァイオリンの名手だった。作品3のソナタ集は6曲からなり、1730年にパリで出版された。

(2)テレマン:2つのヴァイオリンのための6つのカノン風ソナタ第1番ト長調Op.5-1
バッハ、ヘンデルと同時代に活躍し、生存中は彼らより高い名声を博したテレマンは多作家としても知られ、現在3,600曲以上も確認されている。この作品集は1738年に初版が出版された(フルートでも演奏可能)。2人の奏者は同じ楽譜を用い、第2ヴァイオリンが1小節遅れて演奏してカノンを成す仕掛けである。

(3)イザイ:2つのヴァイオリンのためのソナタ イ短調
1915年作曲。イザイがヴァイオリンを教えていたベルギーのエリザベート女王(1876-1965)に捧げられた。2つのヴァイオリンに依りながら、ダブルストッピングによる重層的な和音により、弦楽四重奏のような豊かなポリフォニーをもつ作品である。このコーガン夫妻による演奏が世界初録音となった。
第1楽章 ポコ・レント、マエストーソ―アレグロ・フェルモ(不動の速さで)
第2楽章 アレグレット・ポコ・レント
第3楽章 アレグロ・ヴィーヴォ・エ・コン・フォーコ
コーガン夫妻は1963年の来日時に、上記曲目のうちルクレールとイザイを弾き、「琴瑟あい和すみごとなデュエットを聞かせてくれた」(志鳥栄八郎氏)と絶賛された。
(タワーレコード 商品本部 板倉重雄)
【演奏】
レオニード・コーガン、エリザベータ・ギレリス(ヴァイオリン)
【録音】
1963年3月14日(3)、5月25日(1)、26日(2) セーブル第3スタジオ、フランス

レオニード・コーガン

コーガンは旧ソ連時代の1924年11月24日、ウクライナの工業都市、ドニプロペトロウシクのユダヤ系の家系に生まれました。父は写真屋を営むアマチュアのヴァイオリニストで、この父親よりヴァイオリンの手ほどきを受けています。7歳の時より、同地いもに住むヴァイオリン教師に就き、長足の進歩を遂げた彼は1933年、より高度な指導を受けるためにモスクワに移り、音楽院付属中央音楽学校に入学。ロシア・ヴァイオリン界の名伯楽アブラム・イリーチ・ヤンポリスキー(1890-1956)のクラスに入りました。同じクラスには、後に夫人となるエリザベータ・ギレリス(1919-2008、ピアニストのエミール・ギレリスの妹)をはじめ、ボリス・ゴールドシュタイン(1922-1987)、ユリアン・シトコヴェツキー(1925-1958)、などソヴィエト各地から天才少年・少女たちが集まっていました。このような理想的な環境の中で、コーガン少年はすくすくと成長しました。

1941年、16歳のとき、モスクワ音楽院の大ホールでブラームスのヴァイオリン協奏曲を弾いて正式にデビュー。1943年にはモスクワ音楽院に進学、1948年には大学院に進み1951年に修了。その間、1947年にプラハの国際青年コンクールでユリアン・シトコヴェツキー、イーゴリ・ベズロドニー(1930-1997)と優勝を分け合っています。そして1951年にはベルギー、ブリュッセルで開催された第1回エリザベート王妃国際コンクールに優勝。コーガンの名は一躍世界的なものとなりました。

1955年からは、同じウクライナ出身の大ヴァイオリニスト、ダヴィッド・オイストラフ(1908-1974)と同様に、旧ソ連を代表する芸術家として西側での本格的な演奏活動を開始。まずパリとロンドンへデビューした後、翌年にはウィーンで演奏し、1957年には米ソ文化協定の第一陣としてアメリカへデビュー。1958年1月10日にはピエール・モントゥー指揮ボストン交響楽団とブラームスのヴァイオリン協奏曲を演奏し、熱狂した聴衆から18分にも及ぶ喝采を受けました。同年11月には初来日。日ソ国交回復直後とあって、大きな話題を呼び、「オイストラフよりも“すごい”名ヴァイオリニストと日本中をうならせた」(藁科雅美氏)などと高く評されました。コーガンは親日家となり、1978年2月の最後の来日まで、計8度も来日しています。

コーガンのレパートリーはヴィヴァルディから同時代音楽まで、協奏曲やソナタの大曲から技巧的な小品、そして二重奏や三重奏まで極めて幅広いものでした。同時代作品ではハチャトゥリアンをはじめ、多くの旧ソ連の作曲家から作品を捧げられ、演奏、録音を行いました。パガニーニ、ヴィエニャフスキ、サラサーテ、クライスラー、ハイフェッツが作曲・編曲した小品演奏でも抜群のうま味を発揮しました。

コーガンは少年時代から胃の持病をもっていて、50代に入ると体調も悪化していきました。そして、ウィーンでベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を弾いた2日後の1982年12月17日、電車で移動中にモスクワ近郊ムィティシで心臓発作のため急逝。58歳の若さでした。
(タワーレコード 商品本部 板倉重雄)