レオニード・コーガン生誕95周年記念「アニヴァーサリー・エディション」(5枚組)
【参考動画】コーガン夫妻と息子パーヴェルの共演による
ヴィヴァルディ:3つのヴァイオリンのための協奏曲ヘ長調 RV 551
1966年のソ連のテレビ番組より
大ヴァイオリニストの多彩な至芸を堪能!
ソヴィエト連邦時代を代表する大ヴァイオリニストの一人、レオニード・コーガンの生誕95周年を記念した5枚組。ピアニスト、エミール・ギレリスの妹で、傑出したヴァイオリニストであったエリザヴェータとの夫婦仲睦まじいデュエットに始まり、モスクワ音楽院でのリサイタル、ロストロポーヴィチらとのアンサンブル、コンドラシン、ネボルシンとの共演による協奏曲と、当時のソヴィエトならではの豪華共演を楽しむことが出来ます。早熟の天才として十代で颯爽とデビュー。若くしてエリザベート王妃国際音楽コンクールを制し、あのティボーをして「誰も彼のようには演奏できない」と言わしめたコーガンですが、ここに収められた録音はいずれも二十代から三十代のもので、技術的にも音楽的にも充実した時期にある天才の至芸を堪能することができます。
(ナクソス・ジャパン)
【曲目】
生誕95年 アニヴァーサリー・エディション
レオニード・コーガン(1924-1982)
[DISC 1] 2つのヴァイオリンのための作品
テレマン(1681-1767):2つのヴァイオリンのためのカノン風ソナタ ト長調 TWV40:118
1.I Vivace
2.II Adagio
3.III Allegro
ルクレール(1697-1764):
2つのヴァイオリンのためのソナタ ト長調 Op.3-1
4.I Allegro
5.II Allegro ma poco
6.III Allegro
2つのヴァイオリンのためのソナタ ハ長調 Op.3-3
7.I Adagio - Vivace
8.II Adagio
9.III Allegro
イザイ(1858-1931):2つのヴァイオリンのためのソナタ イ短調
10.I Poco lento. Maestoso - Allegro fermo
11.II Allegretto poco lento
12.III Finale. Allegro vivo e con fuoco
J.S.バッハ(1685-1750):2つのヴァイオリン、弦楽と通奏低音のための協奏曲 ニ短調 BWV1043
13.I Vivace
14.II Largo ma non tanto
15.III Allegro
レオニード・コーガン、エリザヴェータ・ギレリス (ヴァイオリン)
ルドルフ・バルシャイ(指揮) モスクワ室内管弦楽団…13-15
録音:1963年…1-12、1959年…13-15
[DISC 2] 1963年4月7日リサイタル(全曲)
ブラームス(1833-1897):ヴァイオリン・ソナタ第1番 ト長調 Op.78 「雨の歌」
1.I Vivace ma non troppo
2.II Adagio
3.III Allegro molto moderato
プロコフィエフ(1891-1953):ヴァイオリン・ソナタ第2番 イ長調 Op.94bis
4.I Moderato
5.II スケルツォ Presto
6.III Andante
7.Allegro con brio
ファリャ(1876-1946):スペイン民謡による組曲 (1926) (パウル・コハンスキ編曲)
8.I ムーア人の織物
9.II ナナ
10.III カンシオン
11.IV ポロ
12.V アストゥーリアス地方の歌
13.VI ホタ
14.カステルヌーヴォ=テデスコ(1895-1968):ロッシーニ「セヴィリアの理髪師」による演奏会用トランスクリプション (1943)
15.ブラームス:スケルツォ ハ短調 WoO.2 (F.A.E.ソナタ より)
16.ドヴォルザーク(1841-1904):ユーモレスク(ヤッシャ・ハイフェッツ編曲)
17.ベートーヴェン(1770-1827):トルコ行進曲 (レオポルト・アウアー編曲) 「アテネの廃墟」 Op.113 より
18.アーサー・ベンジャミン(1893-1960):ジャマイカ・ルンバ (1938) (ウイリアム・プリムローズ編曲)
レオニード・コーガン(ヴァイオリン)、アンドレイ・ミトニク(ピアノ)
録音:1963年4月7日 モスクワ音楽院大ホール
[DISC 3] ピアノ三重奏
モーツァルト(1756-1791):ピアノ三重奏曲 ト長調 K564
1.I Allegro
2.II Andante con 6 variazioni
3.III Allegretto
ベートーヴェン:ピアノ三重奏曲第7番 変ロ長調 Op.97 「大公」
4.I Allegro moderato
5.II スケルツォ Allegro
6.III Andante cantabile, ma pero con moto
7.IV Allegro moderato
レオニード・コーガン(ヴァイオリン)、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(チェロ)、エミール・ギレリス(ピアノ)
録音:不明
[DISC 4] 協奏曲1
パガニーニ(1782-1840):ヴァイオリン協奏曲 第1番 ニ長調 Op.6
1.I Allegro maestoso
2.II Adagio
3.III ロンド Allegro spirituoso
ヴュータン(1820-1881):ヴァイオリン協奏曲 第5番 イ短調 Op.37
4.I Allegro non troppo
5.II Adagio
6.III Allegro con fuoco
レオニード・コーガン(ヴァイオリン)
ワシリー・ネボルシン(指揮)、モスクワ放送交響楽団…1-3
キリル・コンドラシン(指揮)、ソヴィエト国立交響楽団…4-6
録音:1950年…1-3、1952年…4-6
[DISC 5] 協奏曲2
ショスタコーヴィチ(1906-1975):ヴァイオリン協奏曲 第1番 イ短調 Op.99
1.II 夜想曲 Moderato
2.II スケルツォ Allegro
3.III パッサカリア Andante
4.IV バーレスク Allegro con brio
ヴァインベルク(1919-1996):ヴァイオリン協奏曲 ト短調 Op.67
5.I Allegro molto
6.II Allegretto
7.III Adagio
8.IV Allegro risoluto
レオニード・コーガン(ヴァイオリン)
キリル・コンドラシン(指揮)、モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団
録音:1961年
レオニード・コーガンの生涯
タワーレコード 商品本部 板倉重雄
コーガンは旧ソ連時代の1924年11月24日、ドニエプル川に沿うウクライナの工業都市、ドニプロペトロウシクのユダヤ系の家系に生まれた。父は写真屋を営むアマチュアのヴァイオリニストで、この父親よりヴァイオリンの手ほどきを受けた。7歳の時より、同地に住むヴァイオリン教師でレオポルド・アウアーの弟子であるフィリップ・ヤンポルスキーに就き、長足の進歩を遂げた彼は1933年、より高度な指導を受けるためにモスクワに移り、音楽院付属中央音楽学校に入学。ロシア・ヴァイオリン界の名伯楽アブラム・イリーチ・ヤンポリスキー(1890-1956)のクラスに入った。同じクラスには、後に夫人となるエリザベータ・ギレリス(1919-2008、ピアニストのエミール・ギレリスの妹)をはじめ、ボリス・ゴールドシュタイン(1922-1987)、ユリアン・シトコヴェツキー(1925-1958)、などソヴィエト各地から天才少年・少女たちが集まっていた。こうしたライヴァルたちと切磋琢磨できる好環境の中で、コーガンはすくすくと才能を開花させた。
同年には、コーガンは自らの芸術に決定的な影響を与える演奏に出会った。ロシア革命後、初めてヤッシャ・ハイフェッツ(1901-1987)が故国に戻り、ツアーを行ったのである。コーガンはモスクワでの全ての演奏会に通い詰め、後に「彼が演奏したすべての音符を覚えている。彼は私にとって理想的なアーティストだった」と述懐している。1936年にはフランスの名ヴァイオリニスト、ジャック・ティボー(1880-1953)が、シベリア鉄道を使って2度目の訪日をする途上、モスクワに立ち寄って演奏会を開催したときに12歳のコーガンの演奏を聴いている。ティボーは絶賛を惜しまず「この少年は、将来きっと大物になるだろう」と予言した。
1941年、16歳のとき、モスクワ音楽院の大ホールでブラームスのヴァイオリン協奏曲を弾いて正式にデビュー。同時に、ソヴィエトでの最初ツアーを行い、コーガンの名は国内のすみずみまで知れ渡ることとなった。中央音楽学校卒業後の1943年にはモスクワ音楽院に進学、1948年には大学院に進み1951年に修了。その間、1947年にプラハの国際青年コンクールでユリアン・シトコヴェツキー、イーゴリ・ベズロドニー(1930-1997)と優勝を分け合った。1951年にはベルギー、ブリュッセルで開催された第1回エリザベート王妃国際コンクールに優勝。コーガンの名は一躍世界的なものとなると同時に、彼にとって忘れ得ない思い出となった。というのも、その時の審査員の一人が、15年前にコーガン少年の演奏をほめたたえ、その輝かしい未来を予言してくれたティボーだったからである。
1955年からは、同じウクライナ出身の大ヴァイオリニスト、ダヴィッド・オイストラフ(1908-1974)と同様に旧ソ連を代表する芸術家として西側での本格的な演奏活動を開始し、まずパリとロンドンへデビュー。翌年にはウィーンで演奏し、1957年には米ソ文化協定の第一陣としてアメリカでデビュー。1958年1月10日にはピエール・モントゥー指揮ボストン交響楽団とブラームスのヴァイオリン協奏曲を演奏し、熱狂した聴衆から18分にも及ぶ喝采を受けた。同年11月には初来日。日ソ国交回復直後とあって、音楽ファンのみならず日本中の人々が大きな関心を寄せた。「オイストラフよりも“すごい”名ヴァイオリニストと日本中をうならせた」(藁科雅美氏)、「バッハやプロコフィエフの高度な芸術性をもった演奏は、いまだに私の脳裏から離れない」(志鳥栄八郎氏)などと高く評された。コーガンは1978年2月の最後の来日まで、計8度も来日している。
一方、教育者としては1952年から亡くなる日まで、モスクワ音楽院で後進の指導にあたった(1963年以降は教授)。1980年にはイタリアのキジアーナ音楽院の教授に招かれた。門下からはイリヤ・グールベルト、アンドレイ・コルサコフ、ヴィクトリア・ムローヴァ、イリヤ・カーラー、佐藤陽子、天満敦子などを輩出した。また、自身が優勝したエリザベート王妃国際コンクールでは1971年と1976年にヴァイオリン部門の審査員を務めたほか、チャイコフスキー国際コンクールでは1958年の第1回から審査員を務め、1978年と1982年には審査委員長の重責を担った。
私生活では1942年にエリザベータ・ギレリスと結婚。彼女も優れたヴァイオリニストで、1937年のイザイ国際コンクール(エリザベート王妃国際コンクールの前身)ではオイストラフ、オドノポゾフに続く第3位に入賞したほどの実力と人気の持ち主だった。1952年に長男パーヴェル、1954年に長女ニーナが生まれてからは、この2人を一流の音楽家に育てるため、演奏活動の第一線を退いたが、しばしば夫コーガンとのヴァイオリン・デュオ・リサイタルを開催して世界のヴァイオリン好きを喜ばせた。
コーガンは少年時代から胃の持病をもっていて、50代に入ると体調も悪化していった。そして、ウィーンでベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を弾いた2日後の1982年12月17日、パーヴェルと共演するために電車で移動中にモスクワ近郊ムィティシで心臓発作のため急逝した。58歳だった。
カテゴリ : ニューリリース | タグ : ボックスセット(クラシック)
掲載: 2019年03月11日 00:00