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ルース・スレンチェンスカ97歳!Deccaへの最新録音『マイ・ライフ・イン・ミュージック』

ルース・スレンチェンスカ

ラフマニノフの最後の弟子、97歳の女性ピアニストによる最新アルバム
ルース・スレンチェンスカ~My Life in Music

2022年1月15日に97歳の誕生日を迎えたアメリカのピアニスト、ルース・スレンチェンスカは昨年、自身の気持ちに最も近いソロ・ピアノ音楽で最新アルバムを録音しました。
スレンチェスカは4歳でステージ・デビューをしてから92年、今でも演奏を続けています。ラフマニノフを始めとする20世紀の偉大なピアニストたちに師事し、ケネディ、カーター、レーガンなど歴代の大統領の前で演奏しました。
デッカにはアルバムを10枚録音していますが、最後の録音は60年前でした。
日本へも度々来日し、公演を行う一方で教育にも力を注いでいます。
「モーツァルト以来の最も偉大なピアノの天才」(オリン・ダウンズ[アメリカの音楽評論家])と称されています。
(ユニバーサルミュージック/IMS)

収録予定
1) ラフマニノフ:『ひなぎく』ヘ長調(『6つの歌』Op.38より第3曲)、2) ラフマニノフ:前奏曲ト長調Op.32 No.5、3) バーバー:夜想曲(ジョン・フィールドを讃えて)Op.33、4) バーバー:Let’s sit it out I’d rather watch(『Fresh from West Chester』より第2曲)、5) ショパン:『華麗なる大円舞曲』変ホ長調Op.18、6) ショパン:『子守歌』変ニ長調Op.57、7) グリーグ:トロルドハウゲンの婚礼の日(抒情小曲集Op.65より第6曲)、8) ドビュッシー:亜麻色の髪の乙女、9) ショパン:練習曲ホ長調Op.10 No.3、10) ショパン:幻想曲ヘ短調Op.49、11) ショパン:前奏曲ト長調Op.28 No.3、12) J.S.バッハ:前奏曲とフーガ嬰ハ短調BWV848

【演奏】ルース・スレンチェンスカ(ピアノ)
【録音】2021年6月11-14日、ニューヨーク、ディメンナ・センター、キャリー・ホール

プロフィール

ルース・スレンチェンスカ(1925~)はヴァイオリニストである父親よりピアノを学び、4歳でリサイタル・デビューし「モーツァルト以来最も輝かしい神童」と称賛されました。5歳でカーティス音楽院に学び、1931年、6歳でベルリン・デビュー。ヨゼフ・ホフマン、アルフレッド・コルトー、アルトゥール・シュナーベル、エゴン・ペトリ、セルゲイ・ラフマニノフなどの錚々たる巨匠たちに認められ、教えを受けました。とくにコルトーには7歳から14歳まで、7年間指導を受けたとのことです。

しかし彼女は父親による一日9時間もの虐待的なトレーニングにずっと反感を抱いていていました。そして15歳の時に「機械的」、「未熟」という新聞の酷評を受けたことをきっかけに、自ら演奏活動を停止します。父親に反抗するように、カリフォルニア大学の入試に合格して自立への道を歩み始めました。大学在学中の教授のアシスタントとしてのピアノ演奏や、修道院の音楽教師のアルバイトをしているうちに、再びピアニストとして見出されました。

バッハ・フェスティバルでの10年ぶりの演奏が大きな反響を呼び、アルトゥール・ルービンシュタインやアーサー・フィードラーなどの励ましもあって、本格的に演奏家としてカムバックしました。そして、第2次大戦の傷跡が残るドイツを訪れた際の演奏で、自らのピアノにより聴衆を励ますことができることを実感し、「芸術家としての使命の自覚に目覚めた」と、彼女は語っています。旧ソ連と日本を除くクラシック音楽マーケットの主要各国へ演奏旅行を行いながら、1950年代後半にはアメリカ・デッカ社と専属契約を結んでLPレコードを10数枚リリースするなど、精力的な演奏活動を続けました。

この間、1962年1月にはサンフランシスコ交響楽団の創立50年記念シーズンの一環としてハチャトゥリアンのピアノ協奏曲を演奏しました。当初、ハチャトゥリアンが指揮をする予定でしたがキャンセルとなり、当時26歳の小澤征爾に白羽の矢が立ちました。これが北米デビューとなった小澤征爾の指揮は素晴らしく、その後、1970年、弱冠35歳での音楽監督就任に繋がりました。

スレンチェンスカと小澤征爾

スレンチェンスカと小澤征爾(当時のパンフレット)

30代後半までに3,000回ものコンサートをこなしてきた彼女ですが、1963年に過労のため胃潰瘍となり、2度目となる演奏活動の停止を決断します。1964年には、第一線での演奏活動に見切りをつけ、サウス・イリノイ大学で教鞭を取る道を選び、1987年に退任するまで世界中から集まった生徒たちを教え、同時に彼らから慕われました。

1999年に夫と死別。彼女の大変な落ち込みようを心配した台湾の教え子が台北に誘い、2002年に台湾の大学で、客員教授として再び教鞭をとることとなりました。学生のレッスンの前に必ず数時間、指のウォーミングアップをしたところ、指の力が少しずつ戻り、彼女は台湾で演奏活動を再開。2003年1月、台北で彼女の演奏を聴いた岡山県の歯科医師でチェロ奏者の三船文彰氏が驚嘆したことをきっかけとして、2003年4月に日本での初演奏が実現しました。そして、2017年に至るまでの彼女の岡山での録音は8組のCDに収められ、何れもレコード芸術誌の特選、または準特選盤を獲得するなど、高い評価を受けています。

2018年4月21日には93歳で初のサントリーホール・リサイタルを開催し、満員の聴衆に大きな感動を与え、そのライヴ盤(ルース・スレンチェンスカの芸術 IX~サントリーホール・リサイタル)は レコード芸術誌2019年1月号の特選盤に輝きました。
(タワーレコード 商品本部 板倉重雄)

カテゴリ : ニューリリース

掲載: 2022年02月10日 00:00