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往年の名盤初CD化!ルース・スレンチェンスカ『アメリカ・デッカ録音全集』(10枚組)

意欲的な活躍を続ける95歳のアメリカ女流ピアニストによる歴史的録音集。初CD化
ルース・スレンチェンスカ~アメリカ・デッカ録音全集

ロマン派のピアノ音楽の花形ルース・スレンチェンスカがアメリカ・デッカに行った録音が初めてCDになります。1957年3月のウィグモア・ホールでのリサイタルのために書かれた彼女の経歴には、1600回のコンサートを行ったと書かれています。スレンチェンスカの生涯にはもっと驚くべきことがたくさんあります。たとえば父親の厳しい指導のもと4歳でステージ・デビューを果たしたとか、その3年後にパリのサル・プレイエルでモーツァルトの協奏曲を演奏したとか……。そこでコルトーやラフマニノフにも認められたということです。そして90歳代となった今でも演奏も教育面でも意欲的に活躍していますが、このBOXはスレンチェンスカの芸術を讃える初めての広範囲にわたる録音集となります。
来日公演もたびたび行い、コロナ禍がなければ今年も来日公演が予定されていました。
1925年、ポーランドの両親からカリフォルニアで生まれたスレンチェンスカは、生来のショパン弾きです。才能あふれる安定した技術は、練習曲集(1956年)、スケルツォ集(1957年)、ワルツ集(1959年)、バラード集とリストの編曲によるポーランドの歌曲集(1960年)、そして前奏曲集(1962年)に特にはっきりと現れています。
オリジナル・カヴァーによるCD10枚組BOX仕様。スレンチェンスカの生涯と経歴についての書き下ろしエッセー入り、未発表写真満載のブックレット付き。
(ユニバーサルミュージック/IMS)

《CD 1》ショパン:1-12) 12の練習曲Op.10、13) 即興曲第1番変イ長調Op.29、14) 即興曲第2番嬰ヘ長調Op.36
《CD 2》ショパン:1-12) 12の練習曲Op.25、13) 即興曲第3番変ト長調Op.51、14) 即興曲第4番嬰ハ短調Op.66『幻想即興曲』
《CD 3》ショパン:1) スケルツォ第1番ロ短調Op.20、2) スケルツォ第2番変ロ短調Op.31、3) スケルツォ第3番嬰ハ短調Op.39、4) スケルツォ第4番ホ長調Op.54
《CD 4》ショパン:1) ワルツ第1番変ホ長調Op.18『華麗なる大円舞曲』、2-4) 3つのワルツOp.34、5) ワルツ第5番変イ長調Op.42『大円舞曲』、6-8) 3つのワルツOp.64、9-10) 2つのワルツOp.69、11-13) 3つのワルツOp.posth.70、14) ワルツ第18番変ホ長調(遺作)、15) ワルツ第15番ホ長調(遺作)、16) ワルツ第14番ホ短調(遺作)
《CD 5》ショパン:1-24) 24の前奏曲Op.28、25) ポロネーズ第6番変イ長調Op.53『英雄』
《CD 6》ショパン:1) バラード第1番ト短調Op.23、2) バラード第2番ヘ長調Op.38、3) バラード第3番変イ長調Op.47、4 ) バラード第4番ヘ短調Op.52、5-10) リスト:6つのポーランドの歌(ショパンの歌曲集Op.74による)
《CD 7》リスト:1) スペイン狂詩曲、2) 鬼火(超絶技巧練習曲第5番)、3) パガニーニ大練習曲集
《CD 8》1) J.S.バッハ:半音階的幻想曲とフーガ ニ短調BWV903、2) ショパン:夜想曲第1番変ロ短調Op.9 No.1、3) メンデルスゾーン:ロンド・カプリチオーソ ホ長調Op.14、4) ラフマニノフ:前奏曲第2番嬰ハ短調Op.3 No.2、5) スカルラッティ:ソナタ ト長調、6-11) バルトーク:ルーマニア民俗舞曲Sz.56、12) シューマン(リスト編):献呈S.566、13) ドビュッシー:亜麻色の髪の乙女(前奏曲集第1巻より)、14) リスト:ハンガリー狂詩曲第15番イ短調
《CD 9》1) J.S.バッハ:前奏曲ホ長調BWV937、2) メンデルスゾーン:紡ぎ歌(無言歌集Op.67より第4曲)、3) シューベルト:楽興の時第3番ヘ短調Op.94 No.3、4) プロコフィエフ:悪魔的暗示(4つの小品Op.4より第4曲)、5) リスト:ハンガリー狂詩曲第12番嬰ハ短調、6) ラフマニノフ:前奏曲第6番変ホ長調Op.23 No.6、7) ムソルグスキー:ゴパック(歌劇『ソロチンスクの定期市』より)、8) シューマン(タウジヒ編):密輸業者(『スペインの歌遊び』Op.74より)、9) ドビュッシー:月の光(『ベルガマスク組曲』より)、10) ヴィラ=ロボス:小麦色の娘(『赤ちゃんの一族』より)、11) ショパン:ポロネーズ第6番変イ長調Op.53『英雄』
《CD 10》1-4) リスト:ピアノ協奏曲第1番変ホ長調、5-7) サン=サーンス:ピアノ協奏曲第2番ト短調Op.22

すべて初CD化

【演奏】ルース・スレンチェンスカ(ピアノ)
カール・メレス(指揮)ウィーン交響楽団(CD 10: 1-4)
ヘンリー・スヴォボダ(指揮)シンフォニー・オブ・ジ・エア(CD 10: 5-7)
【録音】1956年7月-9月(CD 1, CD 2)、1957年6月、7月(CD 3)、1959年5月(CD 4)、1962年5月(CD 5)、1960年5月(CD 6)、1957年7月(CD 7)、1959年6月(CD 10: 5-7)、ニューヨーク、1958年7月(CD 8)、4月(CD 9)、アメリカ、1963年4月(CD 10: 1-4)、ウィーン

プロフィール

ルース・スレンチェンスカ(1925~)はヴァイオリニストである父親よりピアノを学び、4歳でリサイタル・デビューし「モーツァルト以来最も輝かしい神童」と称賛されました。5歳でカーティス音楽院に学び、1931年、6歳でベルリン・デビュー。ヨゼフ・ホフマン、アルフレッド・コルトー、アルトゥール・シュナーベル、エゴン・ペトリ、セルゲイ・ラフマニノフなどの錚々たる巨匠たちに認められ、教えを受けました。とくにコルトーには7歳から14歳まで、7年間指導を受けたとのことです。

しかし彼女は父親による一日9時間もの虐待的なトレーニングにずっと反感を抱いていていました。そして15歳の時に「機械的」、「未熟」という新聞の酷評を受けたことをきっかけに、自ら演奏活動を停止します。父親に反抗するように、カリフォルニア大学の入試に合格して自立への道を歩み始めました。大学在学中の教授のアシスタントとしてのピアノ演奏や、修道院の音楽教師のアルバイトをしているうちに、再びピアニストとして見出されました。

バッハ・フェスティバルでの10年ぶりの演奏が大きな反響を呼び、アルトゥール・ルービンシュタインやアーサー・フィードラーなどの励ましもあって、本格的に演奏家としてカムバックしました。そして、第2次大戦の傷跡が残るドイツを訪れた際の演奏で、自らのピアノにより聴衆を励ますことができることを実感し、「芸術家としての使命の自覚に目覚めた」と、彼女は語っています。旧ソ連と日本を除くクラシック音楽マーケットの主要各国へ演奏旅行を行いながら、1950年代後半にはアメリカ・デッカ社と専属契約を結んでLPレコードを10数枚リリースするなど、精力的な演奏活動を続けました。

この間、1962年1月にはサンフランシスコ交響楽団の創立50年記念シーズンの一環としてハチャトゥリアンのピアノ協奏曲を演奏しました。当初、ハチャトゥリアンが指揮をする予定でしたがキャンセルとなり、当時26歳の小澤征爾に白羽の矢が立ちました。これが北米デビューとなった小澤征爾の指揮は素晴らしく、その後、1970年、弱冠35歳での音楽監督就任に繋がりました。

スレンチェンスカと小澤征爾

スレンチェンスカと小澤征爾(当時のパンフレット)

30代後半までに3,000回ものコンサートをこなしてきた彼女ですが、1963年に過労のため胃潰瘍となり、2度目となる演奏活動の停止を決断します。1964年には、第一線での演奏活動に見切りをつけ、サウス・イリノイ大学で教鞭を取る道を選び、1987年に退任するまで世界中から集まった生徒たちを教え、同時に彼らから慕われました。

1999年に夫と死別。彼女の大変な落ち込みようを心配した台湾の教え子が台北に誘い、2002年に台湾の大学で、客員教授として再び教鞭をとることとなりました。学生のレッスンの前に必ず数時間、指のウォーミングアップをしたところ、指の力が少しずつ戻り、彼女は台湾で演奏活動を再開。2003年1月、台北で彼女の演奏を聴いた岡山県の歯科医師でチェロ奏者の三船文彰氏が驚嘆したことをきっかけとして、2003年4月に日本での初演奏が実現しました。そして、2017年に至るまでの彼女の岡山での録音は8組のCDに収められ、何れもレコード芸術誌の特選、または準特選盤を獲得するなど、高い評価を受けています。

2018年4月21日には93歳で初のサントリーホール・リサイタルを開催し、満員の聴衆に大きな感動を与え、そのライヴ盤(ルース・スレンチェンスカの芸術 IX~サントリーホール・リサイタル)は レコード芸術誌2019年1月号の特選盤に輝きました。
(タワーレコード 商品本部 板倉重雄)

カテゴリ : ニューリリース | タグ : ボックスセット(クラシック)

掲載: 2020年11月26日 00:00