インタビュー

ウルフルズの精気を完全復活させた男――再び迎えられたプロデューサー、伊藤銀次

 世界一ウルフルズのことをわかってる男――伊藤銀次が、福生行きの切符を手にして早幾年月。久方ぶりに梅田行きの切符を買わされたような存在に出くわしたということ? ならば、そのスピリットは天王寺野外音楽堂の〈春一番コンサート〉まで遡るのかも。

 ベルウッドからシングル“留子ちゃん/のぞきからくり”で世に出た銀次の初期バンド、ごまのはえは、大滝詠一〈ナイアガラ構想〉のなかでココナッツ・バンクに仕立てられて、〈73.9.21〉はっぴいえんど解散コンサートに出演。翌日解散後、ハイ・ファイ・セットのサポートを経て参加したシュガー・ベイブでは、山下達郎クラシックス“DOWN TOWN”“今日はなんだか”“過ぎ去りし日々”を手掛けることに。

 で、この時期のモニュメントが、大滝×達郎×銀次の『ナイアガラ・トライアングル VOL.1』。その過程で、出自のマージー・ビートやザ・バンドあたりからグッとポップ度を増して、りりィ&バイ・バイ・セッション・バンドの同僚(斎藤ノブ、吉田建、坂本龍一)らと録ったのが、ファースト・ソロ・アルバム『DEADLY DRIVE』。シュガー・ベイブの名曲“こぬか雨”もここに収録。

 それからアレンジャー/ギタリストとして歩むうちに訪れたエポックが、佐野元春との出会い。片腕=作詞家としての活躍は目覚ましく、その余波(?)でソロ作品も量産。仕立てられ役の間口も沢田研二からビートたけしまで多岐に渡り……ってところでウルフルズに。手掛けたアルバム『すっとばす』『バンザイ』における大滝作品のススメ(“大阪ストラット”“びんぼう '94”)に象徴されるように、黒人音楽の取り込みにおける異端的ユニークさをそのまま歌謡ポップスの地平に着地させる……なんてことを目論んでるんじゃないかと。 

文中に登場する伊藤銀次の関連盤を紹介。

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掲載: 2002年04月18日 20:00

更新: 2003年03月07日 18:31

ソース: 『bounce』 230号(2002/3/25)

文/萌木 里

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