くるり
さまざまな音楽の断片を内包しながら、聴こえてくるのは彼らのセンスで形づくられたポップ・ミュージック。この作品が2002年を映しだす鏡となるのか? くるりのニュー・アルバム『THE WORLD IS MINE』が登場!!
シングル“ワンダーフォーゲル”“ばらの花”のヒットで、音楽通たちの〈なーんかやってくれそうな期待感〉を完全に証明したくるり。自分たちの言いたいことと世間的に求められている音の幸福な一致点を見い出してから早1年、さて、彼らのヴィジョンのニュー・ヴァージョンはどうなったか?
「いわゆる普通のポップ・ソングじゃないものを作ろうとは思っていましたね。こういう職業やってると、どうしても〈やっぱりサビがないと〉とか〈こういう曲にはこういうアレンジやろ〉とか、逆に〈こういうアレンジはベタやから、こう変えて〉みたいな概念が付きまといますけど、それに対して疑問があったんです。それって、狭い意味でのポップ・ミュージックのフォーマットにあてはめてるだけだし、音楽の可能性を狭めてる気がして」(岸田繁、ヴォーカル/ギター)。
今作の内容を正確に伝えるには、どう言えばいいのだろう? はっきり言って全曲バラバラ。ま、くるりの場合いつもそうなのだが、各曲の肌触りもまた独特。変拍子ロックもあれば、静的なテクノ・サウンドあり、バロック調のクラシック・テイストあり、音響カントリーあり……と書いてはみたものの、書いてるそばからズレを生じてくるような、微妙で、奇妙で、だけど自然で、堂々とした音の鳴りが耳に残るのだ。
「今回ロック・バンド形態で演奏してる曲も多いけど、ロック・バンドの音になってない気がします。これまでだと〈ハウスっぽいのにしたい〉って思ったら、まず〈キック4つ、BPM120、上モノなんかない?〉って作ってたのが、今回は結果的にハウスになったというか……」(岸田)。
変化したのは小手先ではなく根本の意識。〈コレ〉をやるために音を鳴らすのではなく、みずからの感情や快感を音に変換していった結果〈コレ〉になったという因果関係のゲット・バック。そこにはイギリス・レコーディングという部分も影響している。
「日本で普通にやってたら気づけへんかったけど、向こう行ったら自分に必要なもの以外はいらなくなっていくんですよ。曲自体にも集中できますし」(佐藤征史、ベース)。
異国の地に身を置くことで、見えてくる自分自身。今回からギターに大村達身が加入し4人編成となったが、そのことも当然今作の音に影響している。
「音が増えることによって複雑になるんじゃなく、よりイメージは明確になった気がします」(森信行、ドラムス)。
客観的視点が増えることで、さらにクリアになる自分自身。そう、本作のキーは自分自身。この身に宿るアヤフヤな自分感覚を、ジャンルに拠らず再現すること。自分感覚を研ぎ澄ませ、必要なものを取り、不必要なものを捨てる作業だった。点が線になる2002年。
「なんか聴いてくれた人が、個人の呪いみたいなものを断ち切れるようなことはしてると思いますよ。ボーッとしてると〈世界はアメリカのものなんか?〉とか〈おかんのものなんか?(笑)〉ってわからなくなるじゃないですか。それをもう一回把握するというか、世界を再確認するというか。アルバム・タイトル『THE WORLD IS MINE』ってそういう意味ですから」(大村)。
「例えば〈今朝の空気はなんてキレイなんやろ〉って思った瞬間とか、その世界は自分だけのものだと思うんです。そこからはじまるものはいっぱいあるし。やっててたいへんやったけど、今後作品を作り続けていくためにはそこをやっとかなあかんって気がしたんです」(岸田)。
躍らされるんじゃなく踊ること。動かされるんじゃなく動くこと。こう書くと難解な作品に聞こえるかもしれないが「ポップなものしか信じてない」(岸田)から結果的に全体はポップ。岸田はポツリと「時代のアルバムかなー」とつぶやく。
「昨年今年の混乱した世界の流れっていうのは影響してるかもしれませんね。僕らは音楽をしながら旅をしてると思ってるんです。旅はキレイに始まってキレイに完結するわけではないし、〈目的地に行き着きたい〉って理念はあるけど、実は旅が終わらないでほしいって思ってるところもあるし、疲れることもあるし……これからもそうやっていくと思いますよ」(岸田)。
内面に向けて切られた旅路のシャッター。それが僕と時代にシンクロしている。
くるりのアルバムを紹介。左から、98年のミニ・アルバム『ファンデリア』(バッドニュース)、99年の『さよならストレンジャー』、2000年の『図鑑』、2001年の『TEAM ROCK』(全てスピードスター)