インタビュー

Bayaka

bayakaから届けられたニュー・アルバム『inner film』??それは、二胡が勇壮なメロディーを奏で、フラメンコとジャズが混在する、素晴らしき無国籍音楽だった!! 凄まじいスピードで進化する彼らから目を離すな!!


bayakaは不思議なユニットだ。DJのMitsuruとプログラマーのTeruoの2人は、川崎・生田緑地にほど近い丘の上の一軒家で、オーガニックな生活を営みながら、音楽制作に没頭している。

 もともとはDJとして、10年以上もクラブの現場に関わってきたbayakaにとって、昨年発表した『Irradiation』は、クラブへの決別を宣言するような、重要な方向性を担ったアルバムだった。

 Mitsuruは当時、とにかくクラブ的な音から逃れようとしていた。クラブでなければなんでもいい――生粋のDJとしてキャリアをスタートさせた彼は、そこまで思いつめてあのアルバムを作った。DJやクラブ・シーンというものが、自分の音楽を実現するための足枷になっていると感じていたからである。

 新作『inner film』は、その方向性をさらに突きつめて作られたアルバム。というか、ぶっちゃけた話、これはクラブ系のファンにはつらいアルバムかもしれない。いきなり、悠々たる二胡の調べが壮大なオーケストレーションに乗って展開するし、リズムのない曲も多い。

「聴いてどうのこうの言うDJもいるかもしれないけど、別におまえらのために作ってるわけじゃねえよ、みたいな(笑)。そんなとこ見てない。そうじゃなくて、もっと普通にジャズ聴いてるおっさんとか、DJとかクラブをぜんぜん知らない人に聴いて欲しいんだよ」。

 〈なぜこんなに踊れない音楽を作るのか?〉という質問に飽き飽きしているのだろう、Mitsuruは少しうんざりしたように言った。

「ハウスとかブレイクビーツとかいう枠の中に入れられることによって、曲を曲として捉えてもらえなくなる。とにかく、音楽的に自分たちができる最大限のレベルのものを表現したいのに、打ち込みのリズムが入った時点で、〈○○っぽいね〉って話になっちゃう。リズムが似てると、曲が違っても個性がなくなるじゃん。俺は100%個性を出したかった」。

 新しいこと、カッティング・エッジであることが非常に重視されるクラブ・シーンに長くいるなかで、bayakaは純粋に自分の音楽的衝動を形にする道を選んだ。そのため、アルバムには今回も多数のゲストが参加している。これまでの作品にも顔を出していた土屋玲子(二胡)、19歳のインド人ヴォーカリスト、サイー・ハルドル、フラメンコの若手カンテ、大渕博光、20歳になったばかりのアコーディオン奏者、桑山哲也、オルケスタ・デ・ラ・ルスの創始者で現サルサ・スウィンゴーサの大儀見元(パーカッション)や、ジャズ・ドラマーの外山明、そして海外からはディープ・ルンバのシオマラ・ラウガー、フィラデルフィアのポエット、リッチ・メディーナなどなど。これだけ挙げてもまだ半分ぐらいだが、ほとんど素人に近い人からプロ中のプロまでが入り乱れ、通常は予想できない組み合わせでアルバムの各所に現れる。たとえば、〈インディアン・フラメンコ演歌〉とでも言えそうな“Mi Cuerpo Tocaito Con Agua Mar”などは、そうした化学反応が成功し、bayakaでしかありえないサウンド体験をもたらしてくれる佳曲だ。

「bayakaは……真面目だよ。絵描きでいったら、山の絵を描くときに、ほんとに細かく山を描いちゃう人だよ。バスキアみたいな、トンガった感じじゃなくてさ」。

 と、Mitsuruは少し自嘲気味に自分の生真面目さを分析する。

「『inner film』はね、新しい古いでいったら古いよ。感覚的に古いのよ。作り方から、音楽に対する考え方から。新しいものをおもしろいと思う気持ちもあるけど、このアルバムはそういう音楽じゃない」。

「俺は古い」という言葉をDJの口から聞いたのは、少なくとも僕は初めてである。それは、ダンス・ミュージックに関わる者として、ひどく勇気のいる発言だ。しかしその勇気がなければ、地下の狭い空間で永久に電子音と向き合わなければならない。それはそれで、やはり窮屈なのである。

bayakaの作品を紹介。左から、2000年の『White Lounge』(テイチク)、2001年の『Irradiation』(flower)

カテゴリ : インタビューファイル

掲載: 2002年06月13日 18:00

更新: 2003年02月13日 12:38

ソース: 『bounce』 232号(2002/5/25)

文/野間易通