Madonna(2)
好きなように語れる場所──ハリウッド
そして彼女はこのアルバムで、一つ一つ検証していく。冒頭曲の“American Life”では、文字どおりアメリカン・ドリームを駆け上った自分が、いま、何を手にしているのかを言葉にする。〈トップの座を守ろうとした/役を演じようとした/そうしたら、いつの間にか忘れてしまった/何のためなのか〉──彼女がほかの〈キレイでいい声のディーヴァ〉と違うのは、こんな真摯な本音を世界に向かって告白できることだろう。背筋がゾクゾクするようなハウスのビートと、サビの荘厳なアコースティック・ギターの音色が、歌詞のショッキングさをさらに後押しするかのように強烈だ。続く“Hollywood”では、エンターテイメントの帝国がモチーフになっている。
「ハリウッドは、ある意味で象徴的なところよね。夢の街よ。でも表面的で、何かを見失う危険をはらんでいる。あそこにいると大切なものが見えなくなるわ。記憶も、未来への展望も、そして自分をも見失ってしまいそう。確かに幻想は崩れたけど、でも結局、あそこは私が好きなように語れる場でもあるのよ」。
好きなように語れること──それはつまり、マドンナがこのアルバムを発表する根拠でもある。同時に、自由に好きなことを言える場所でなければおかしいと、聴く人すべてに疑問を投げかけているというニュアンスすら感じ取れる。事実、いまのアメリカでディキシー・チックスに何が起こったか。そして、マドンナが立ち上がらなければ他の誰に、それができるというのか。
「歌は私にとって表現の源だわ。そういう詩的な手段のほうが、単純なQ&Aよりものびのびと語れるの。自分は歌を通じて思いを伝えて、聴く人には自由に解釈してもらいたいのよ。具体的な解説を押しつけるつもりはないわ」。
そう語れるクレヴァーさを持つマドンナは、だから、このアルバムではまったく戦争に触れることはない。そうではなく、むしろいまのアメリカを構成する〈価値観〉そのもののあり方について唄うというやりかただ。
つまり、表層ではなく根源に焦点を当てることで、アメリカ人のみならずすべての人間(私も、あなたも)に問題意識を同時に植え付ける。そのうえ、単に形而上的でゴチゴチの御託を並べるのではなく、時には自分のキャリアを振り返って、時には幼い頃の思い出をモチーフにしながらも、さりげなく普遍的な意識を浮き上がらせるという方法論に、この女性が〈歴史〉とイコールで語られるだけの理由を見た気がする。巧すぎる。
サウンド面に目を向けると、今作も共同プロデューサーとしてフランス人のミルウェイズ・アマッザイの名が見える。マドンナが〈実験室の天才〉と呼ぶ男だ。もともとダンス・ミュージック好きのマドンナのアイデアを形にするための、もはや片腕といってもいい存在だろう。
「(音楽に関しては)詩的なマジックというのかしら。音楽を聴くと、自然と歌が湧き出てくるのよ。私の中の何かを揺り動かすものがあって、気がつくと書き始めている感じね。特にギターを弾けるようになってからは、他人に頼らずとも自分で曲を作れるし。そのぶん、私らしさが出ているかもしれないわ。とにかくギターを弾き出すと、コードが、自分の中の感情や音を刺激してくれるの。あとは意識の流れに身を任せるだけ。書き留めたものは持ち歩いているわよ。車でも、飛行機でも、どこにいても読み返して、足したり消したり、変えたりしている。常に作り続けているのよね」。
彼女のギターへの愛情は、このアルバムのそこかしこから流れ出ている。耳を澄ませばギターの音、それもアコースティック・ギターがアルバム全体の主軸になっていることに、すぐに気づくだろう。ギターの音色から導かれるバラードたちは、彼女が歌詞に込めたメッセージをじわじわと聴くものに浸透させてゆく。ガツンと殴られるような衝撃(=歌詞)は一度経験すればお腹いっぱいになるのが普通だが、この音の心地良さはまるで魔女の媚薬だ。何度も何度も体験したくなる。
そして聴くうちに、改めて発見するのだ。このアルバムの歌詞には女性性への挑戦も、失った母への想いも、家族への愛も、宗教的な荘厳さも、つまり、これまでマドンナが唄ってきたはずのすべての要素が、さりげなくも改めて含まれていることに。マドンナの歩みのすべてがここにはある。このアルバムに込めた彼女の〈革命〉には、自分自身の成功の軌跡を一旦はリセットして、一から紡いでいこうという意志も含まれているのかもしれない。
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