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インタビュー

CYMBALS(2)

『Screamadelica』に〈愛の夏〉の記憶を封じ込めたプライマル・スクリームが、その次に向かった先はアメリカ南部、メンフィスの地。自身の、あるいは根源的に〈ダンス〉のルーツ探究の果てに彼らが持ち帰ったのは、躍動感溢れるサザン・ソウル・アルバム『Give Out, But Don't Give Up』だった。一方、われらがCymbals。一大叙事詩『sine』明けとなるニュー・アルバム『Love You』は、こちらの予想(『sine Part.2』でもエエなあ)を心地良く裏切る、これまでのCymbalsにはあるまじき(?)レコードとなっていた。南部詣のプライマル・スクリームに対し、彼らはどこに向かっていたのだろうか。

聴き手や音楽との誠実なコミュニケーション


「どこだろう?(笑)……まあ、〈毛穴感〉という意味では(プライマル・スクリームの南部詣と)いっしょですけど、語りにくいレコードではあるんですよ。これまでは、アルバム作る前から理論武装できちゃったりしたけど、今回は丸裸ですからね。ホントは、〈出ちゃった〉とか〈出さざるを得なかった〉とか、そういうもんばかりなんですよ。たとえばビートルズでいうと、『St. Pepper's Lonely Hearts Club Band』を出したあとの〈ホワイト・アルバム〉(『The Beatles』)って感じですね。あれもたぶん、曲の流れとかどんなアルバムを作ろうかとかぜんぜん考えない、すごい散らかった作品だと思うんですけど、ただ、どのアルバムよりも〈ビートルズとはなんぞや?〉ということが、逆にわかりやすくなってる。あれはすごいオープンなレコードだと思うんですけど、そういうレコードを作ろうとすると、結果としてそういう手法をとらざるを得ないという」(沖井礼二)。

 Cymbalsの船頭(?)、沖井をしていまだ客観的な視座を持ち得ないのがこの『Love You』。かつての〈Mr.Noone〉のような案内役に代わってアルバムを牽引するのは、曲そのもののカロリー、あるいは曲の連なりが生み出す感慨。小説でいえば短編集。TV番組や映画でいえばドキュメンタリー。Cymbalsらしさは厳然とそこここにありつつも、これまでとはまったく別種の気分を呼び起こすこの作品は結果、ポップ・ミュージック、ロック・ミュージックというものの伝統的なあり方に対して、非常に真摯に、ヤンチャに、情熱的に斬り込んだ印象に。

「〈開いたもの〉を作ろうと思ってるときに、それ以外のやり方が出てこなかったんですよ。それはたぶん、僕らが受けた音楽の恩恵に対する恩返しっていうかね。〈コンセプト〉って作品をわかりやすくするものではあるだろうけど、今回のアルバムはいままでと違って、コンセプトを作らずに自由連想法的に曲を作って。あたりまえのことかもしれないんですけど、Cymbals的にはすごく冒険だった。狙ったのはただひとつ、聴き手や音楽との誠実なコミュニケーション、それだけは守らなくては、と」(沖井)。

 なにしろタイトルから『Love You』だからして。Cymbalsと楽曲、楽曲とリスナー、それぞれの距離感が、つまりはCymbalsとリスナーの距離感に比例していく。その距離が、今回はこれまで以上に近い、と。翻ってみると、高度にコンセプチュアルに編集された作品を送り出してきた一方で、ショウマンシップ溢れるステージングでオーディエンスを魅了してきたのもまた、Cymbalsの本質だったりする。

「ステージは、なにかしらの空気が生まれてこそ、というところはありますね。それを作るのが演出だったりすると思いますけど」(矢野博康)。

「お客さんがいてこそステージが成り立つんだから、そこは〈コミュニケーションの場〉でありたいんですよね。そこで今回のアルバムに繋がっていくんですけど。コミュニケーション・ツールとしてのアルバムっていうことで、まさに今回のアルバムはドンピシャなんですよね。それがとにかくやりたかったなって。いままでもそれは絶対に気持ちのなかにあったはずなんですが、やっぱりどうしても箱庭になっていくんですよ。それはそれでものすごくおもしろい箱庭かもしれないですけど、今回はもう〈開いた作品〉を作りたいということで。ライヴ会場に来ているような感覚を持ってもらいたいですよね」(沖井)。

カテゴリ : インタビューファイル

掲載: 2003年06月05日 13:00

更新: 2003年06月05日 18:47

ソース: 『bounce』 243号(2003/5/25)

文/フミ・ヤマウチ

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