インタビュー

Date Course Pentagon Royal Garden

メンバー・チェンジを経て、セカンド・シーズンを迎えたDCPRG。超重量級の新作『Structure et force』がこれまたムチャクチャ踊れるアルバムなのだ!!

次にやるならダンス・ミュージックしかない


 DATE COURSE PENTAGON ROYAL GARDEN(以下、DCPRG)のセカンド・アルバム『Structure et force』が届きました。前作『REPORT FROM IRON MOUNTAIN』から待つこと、約2年。待望の新作はいやはや、凄いアルバムでありました。どこがどう凄かったのかを一言で言いますと、より体感的になっていたところ、が凄かった。優れたダンス音楽は大抵、楽しいとか、悲しいといったティピカルな感情だけでなく、くすぐったいとか、むずがゆいとか……そういった微妙な感覚までも体感させてくれますが、この作品には間違いなくその力があります。

 DCPRGのライヴに足を運ぶたびに感じていたことでもありますが、ダンス・ミュージックとしての機能がアップしている。それが見事に作品化されてしまっている。そんな印象を受けた新作なのですが、そもそも、どうしてダンス・ミュージックなのか。DCPRGの首謀者、菊地成孔さんに訊いてみました。

「90年代はクラブというところにはほとんど行っていなかったんです。92年の、東京・芝浦INKSTICKのチャック・ブラウン&ソウル・サーチャーズ。あれが最後で。それ以前は、ディスコだったり、シカゴ・ハウスだったり、それこそハードコアなダンス・ミュージック消費者だったんだけれど。

 ティポグラフィカやGROUND ZERO(ともに、かつて菊地が参加/主宰していたグループ)をやっている間も、自分ではダンス・ミュージックのつもりでやっていて、発展段階としてそうなると信じていたんだけれど、ならないままに解散した。その挫折感もあって、次にやるならダンス・ミュージックしかないと思っていた。特にティポグラフィカは、アフリカのダンス・ミュージックの構造を援用していて、それもあまりに高度に引用してしまっていたので、誰にもわからないというような。トゥー・マッチ・フューチャーな感じだった。よく覚えているのはその当時、ラッパ我リヤが新宿のALTAでかかっていたのを聴いたことがあって。アフリカ系黒人の、一拍を6連で割っていくというアフリカな感じのものが、ALTAでかかっている。もういいんじゃないか、と思ったんです。

 クラブにもう一度戻ったのは、98年。ティポグラフィカとGROUND ZEROが解散して、SPANK HAPPYも一度解散して、全部なくなったんです。暇になったのでちらほらと(クラブ・ミュージックを)聴き始めた。そのあたりで後のDCPRGみたいなことを、70年代マイルス(・デイヴィス)のようなことをやればいいんじゃないか、と大雑把に思い始めたんです」(菊地成孔、コンダクター)。

カテゴリ : インタビューファイル

掲載: 2003年10月02日 21:00

ソース: 『bounce』 247号(2003/9/25)

文/MOODMAN