くるり
2年ぶりとなるニュー・アルバム『アンテナ』が到着。水面下でバンドの佇まいをドラスティックに変化させてきた彼らが辿り着いた場所とは……?
かつて佐野元春は、くるりに対する個人的な好意を〈いい景色をいい演奏がより引き立てている。それに勝ることはない〉と表現していた。くるりの本質をついた名言だと思う。その意味でも、いまこそ聴きたかったくるりが、『アンテナ』にある。前作『THE WORLD IS MINE』から2年。その間には、くるりとともに時代を担っていた少なからぬバンドがその活動を止め、くるり自体もその佇まいをドラスティックに変えた。しかしながらくるりは、過剰さや情緒過多に逃げず、バンドの体温に忠実な〈シンプルなロック・アルバム〉を生み出してきたのだから。
「曲自体の構成は〈シンプル〉をめざしたんですよ。僕が普段すごく好きなロックとかリズム&ブルースって、なんてことはない誰でも予想できるシンプルな構成が多い。もちろん、そうやないのもあるんでしょうけど、僕が聴きたいのはやっぱそこやったんですよね。今回は〈ベーシック命〉。そのベーシック録るときの集中力とか、音の選び方とか、そういうところに着眼して、そしてそれができたってことは幸福やなって思ってて。全員、テープが回り始めてその先に何があるかを咀嚼してて、〈ジャン!〉て終わるまで、全部ちゃんと見えてた」(岸田繁、ヴォーカル/ギター:以下同)。
言うまでもなく、くるりは〈いい曲書けばオールOK!〉という天真爛漫さだけでは許されないある種の業を背負ったバンドゆえ、ここでいう〈シンプル〉がただの〈シンプル〉で終わるわけもなく。その背景には演奏者の力量(というより勘の良さと言ったほうが近いかも)に依るところ大な、ダイナミクスがある。しかもそのダイナミクスは、あからさまな緩急のジェットコースター的なものとは真逆の、それこそ鉄道旅行で車窓から眺める世界のように、さりげなく、劇的に風景を変えるといった、くるりならではのものだ。
「〈bounce〉やからあえてこういう話をするんですけど、いい演奏ってONとOFFがあると思うんですよね。ずっとONやったらONの感じってすぐに薄れるし、でもONで入ってOFFになってまたONに戻るとすごい力強かったり、あるいはOFFになったときの微妙なニュアンスの変化が映像を喚起したりしますし。ジャズとかクラシックの演奏って〈そこ命〉で、そういう音楽聴くときはそれをすごい楽しんでて。ロックでそれをやってる人って、昔はいっぱいいたと思うんですけど……」。
僕がこのアルバムに抱いた〈どこかジャズのようだ〉という印象は、あながち的外れではなかったようだ。ジャズをジャズたらしめるコード感やグルーヴ感というものも他にあるのだが、『アンテナ』の持つある種のジャズっぽさは、より音楽的な構造に起因しているからこそ。シンプルなテーマを演奏者が広げていく、という。
「ザ・バンドみたいなのが好きなんですよ。完璧に整理されてるわけではないけど、歌世界・歌詞世界だけやなくて、演奏にちゃんと物語がある。今回のアルバムの7曲目に入ってる“黒い扉”は8分半あるんですけど、自分で聴いてても全然長いと思わない、最初にドラム入ってきて最後ギターだけになって締めるまで、全部の音にちゃんと必然性がある。なんで箸起きの上に箸を置いてるか? なんでご飯を1杯だけおかわりするのか?──アルバム自体もそういう必然性を持たせたかった。音を録ってる時点で、これはいまの時代のものなのかなあ、かといってレイドバックして聴こえるもんでもないしなあ、とか思いながら不思議な感覚で。でも、そこもくるりっぽいと思うんですよね。例えば、トラックダウンするときも、〈○○みたいな音にしてくださーい〉とか、ほんまなかったんですよね。すごい体育会的な話になんねんけど、そんときに演奏した人のソウルが音に宿ってればそれでいい、みたいな感じやった」。
シンプルな思いから発せられるシンプルな音楽だからこそ、聴き手にもたらす風景・感慨は千差万別。そして、聴く回数を重ねるごとに表出する、そのシンプルネスを成立させるために十重二十重に折り込まれた音楽的イディオム……うむ、『アンテナ』とは長~いお付き合いになりそうだ。
最後に、くるり音楽の持つ変わらぬ情感の根が窺える、印象的な岸田の発言をもってこのテキストを締めようと思う。
「冬のサーファーっていいですよね!……レコーディング中に江ノ電乗って見にいったりして……冬のサーファー・ガールたち、大好きなんですよ……見てると死にたくなるんですけど、自分が死にたくなる感情のなかで、それが唯一〈良い〉感情なんです」。